第46回日本SF大賞選考経過 選評

第46回日本SF大賞選考経過報告

第46回日本SF大賞の選考会は、大森望、北原尚彦、図子慧、林譲治、ひかわ玲子の五名の選考委員が出席し、2026年2月01日にオンライン会議にて開催されました。

運営委員会からは司会として井上雅彦会長、コーディネイトとして日高真紅、技術係として高橋文樹、藤井太洋、記録係として浅生鴨、中野伶理が出席いたしました。

今回の最終候補作は以下の五作品です(題名・50音順)。

  • 『アポカリプスホテル』(TVアニメーション)
  • 伊藤典夫『伊藤典夫評論集成』(国書刊行会)
  • 『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』(TVアニメーション)
  • 藤井太洋『マン・カインド』(早川書房)
  • 人間六度『烙印の名はヒト』(早川書房)

「第四十六回日本SF大賞」選評

選評   大森望

 SFファンとしてもSF翻訳者としても書評家としてもアンソロジストとしても、伊藤典夫がお手本だった。SFの読み方も書評の書き方もファン活動の流儀もゴシップの面白さも、SFについて必要なことはすべて伊藤典夫に学んだ。そういう人間にとって、『伊藤典夫評論集成』はバイブルというか百科全書というか、とにかくとんでもない本である。そんな書物が候補に挙がった以上、今回の日本SF大賞は『伊藤典夫評論集成』しかない。そう信じて選考会に臨んだところ、選考委員全員がこの作品を大賞に推し、あっけなく授賞が決まった。むしろ、(その年の最優秀作品を選ぶ)日本SF大賞では足りないのでは……という声も出たくらいだが、選考委員にはグランド日本SF大賞もスーパー日本SF大賞も贈る権限がないので、つつしんで日本SF大賞を贈らせていただいた。
 実際、伊藤典夫が六十年以上にわたって書いてきた原稿を一冊に集めた、ハードカバー二段組一四一二ページ(うち索引とリストが八五ページ、鏡明氏と高橋良平氏の解説対談が三五ページ)の本書の威力はすさまじい。伊藤さんがまだ浜松に住む十五歳の少年だった時分に「宇宙塵」に送ったお便りに始まって、『美しい星』を酷評して三島由紀夫を激怒させたSF小説月評から、第2回日本SF大会TOKONレポート、〈宇宙気流〉連載のSFレビュー、そしてペーパーバックとSF雑誌を読みまくり、英米SFを系統的に紹介して〝SFの読み方〟を日本のSF読者に教えた「マガジン走査線」「SFスキャナー」「エンサイクロペディア・ファンタスティカ」……と、中身を紹介しはじめたらキリがない。この本はある意味、伊藤典夫の人生そのものであり、すなわち日本SF六十年の歴史そのものである。
 何よりすばらしいのは、本書が(索引も含めて)通読することを前提にして編集されていること。抱腹絶倒のSF旅行記キューコン・ハチャハチャ・レポートから、ニュー・ウェーヴとの出会い、SF理解をめぐる葛藤、ほとんどロードノベルのような「北アメリカ・SFの旅」、《スター・ウォーズ》に対する熱狂、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアとの出会いと別れ。次第に筆致は成熟し、終わりに近づくにつれて追悼原稿が増えていく。SF幼年期の終わりから、多感な思春期、血気盛んな青年期、成熟した壮年期から老年期まで、この本を通読することで日本におけるSFの歴史がそのまま体感できる。
 そんな奇跡のような本が実現したのは、この本を企画編集した国書刊行会編集部・樽本周馬氏の二十年におよぶ努力の賜物であることはひとこと付言しておきたい。実際、個人的には、樽本氏がつくった索引だけでも日本SF大賞を贈る価値があるんじゃないかと思うくらいで、「編集」という仕事の奥深さが凝縮された本でもある。たまたま『伊藤典夫評論集成』が出た年度に選考委員だったおかげで、この本に日本SF大賞を贈る栄誉を得たことを心から喜びたい。
 というわけで、それ以外の候補に関しては、とても『伊藤典夫評論集成』と同列には論じられないのだが、侃々諤々の議論の結果、《ガンダム》シリーズの最新作である『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』に特別賞を贈ることになった。もちろん、『ジークアクス』は単独のTVアニメシリーズとして候補に選ばれたわけで、《ガンダム》シリーズを代表しているわけではない。《ガンダム》シリーズの作品が日本SF大賞の候補に入ったのは『ジークアクス』が初めてだが、他の《ガンダム》シリーズ作品と比較検討の上でこれが選ばれたというわけではなく、多分に偶然の要素が強い。とはいえ、《ガンダム》シリーズと(もしくは宇宙世紀、とりわけファーストガンダムと)切り離して『ジークアクス』を評価するのもむずかしい。
 したがって、ファーストガンダム評価は括弧に入れつつ、『ジークアクス』はファーストガンダムをどのように料理したかという点に着目して評価すると、意外に現代SFと通じる点があることに気づく。ガンダムの新作がガンダムの伝統を前提にしてつくられるように、多くの現代SFもSFの伝統を前提にして書かれる。シャアやララァの物語がマチュやニャアンの物語とどう接続されているかに着目すると、明らかにぎくしゃくしている(シームレスに溶け合ってはいない)部分も目につくが、それは『三体』や『プロジェクト・ヘイル・メアリー』が現代的なエンターテインメントの装いのもとに黄金時代のSFのネタを再演しているのを見たときに感じる不自然さと共通する。その接続の問題を『ジークアクス』はいわばメタSF的に処理し、その結果、毀誉褒貶いろいろあったわけだが、個人的にはその手つきがたいへん好ましかった。それはたんに、旧エヴァや『フリクリ』の頃から鶴巻監督や榎戸さんのファンだったからというだけのことかもしれないが、『伊藤典夫評論集成』の日本SF大賞と並んでこのアニメが特別賞をとることが妙にしっくり来たのは事実だ。なんだかわかりにくくてすみません。
 同じTVアニメ『アポカリプスホテル』もたいへんおもしろく見たが、アニメとしての出来のすばらしさと比較すると、SFとしての新奇性や独自性はそれほど感じなかった。人類がいなくなったあとの地球で人類の帰還を待ち続けるロボットたちというエモーショナルな構図は、たとえば椎名誠『アド・バード』や飛浩隆『グラン・ヴァカンス』でも描かれてきたし、タヌキ星人があれだけ万能なら、べつだん地球人類にこだわらなくてもいいんじゃないのと言いたくなる。その一方、「神の杖」の扱いには多少の違和感を抱いたのも事実で、一瞬、我に返ってしまったのが残念だった。
 藤井太洋『マン・カインド』と、人間六度『烙印の名はヒト』は、ともに日本SFの年間ベスト長編を争う秀作。タイトルからもわかるとおり、偶然にも、どちらも「人間とは何か」をテーマにしている。
『マン・カインド』は、いわばニュータイプを人工的につくってしまう話。そうして誕生した超人類、ポストヒューマンが、人類のようなもの(マン・カインド)と呼ばれることになる。伝統的なSFでは、彼らは旧人類によって迫害される立場に追い込まれることが多いが、藤井太洋は新たなマン・カインドを新たな角度からリアルにかつポジティヴに描き出すことに成功している。
 小説の始まりは、著者の短編「公正的戦闘規範」「第二内戦」と同一世界線上にある2045年のアメリカ大陸。農業ベンチャー〈テラ・アマソナス〉に招聘された天才的公正戦コンサルタントのイグナシオ少佐は、ブラジル政府に雇われた民間軍事会社〈グッドフェローズ〉との戦闘に、鮮やかな勝利を収める。しかし彼は、投降した5人の兵士を無慈悲に銃殺させる。いったいなぜ殺す必要があったのか?
〈人類を継ぐのは何か?〉と帯に大書されている通り、SF的には小松左京『継ぐのは誰か?』の21世紀版とも言える。同時に、高野和明『ジェノサイド』の流れを汲む現代的なエンターテインメントとも、伊藤計劃『虐殺器官』に連なるホワイダニットのミステリとも、まったく新しい戦争とまったく新しい報道のありようを描く近未来SFとも読める。技術的なディテールのリアリティとストーリーテリングの手腕はすばらしい。
『烙印の名はヒト』も、ホワイダニットの構造を持つ。主人公は介護肢と呼ばれる介護用ヒト型アンドロイドのラブ。物語は、ラブが施設の入居者に頼まれて、彼女の首を締めるところから始まる。記憶が曖昧なまま準一級殺人で無期懲役を言い渡されたラブは、ヒトという烙印に抗い、自分が人間でないことを証明すべく逃亡する。ラブはなぜ人を殺したのか?
 ロボットが人間になろうとするのではなく、人間主義の軛を逃れようとする、反アシモフ的なロボットSF。あるいは『アポカリプスホテル』の裏返しと言ってもいいかもしれない。
 そのわりにのっけからアンドロイド(ラブ)の一人称(あたし)で始まるが、この一人称には仕掛けがあって、「あたし」はラブの主体ではなく一種の翻訳用インターフェイスに過ぎず、人間的な情緒を過剰に抱いているのはそのためだったという事実が後半で明かされる。とはいえ、アニメ的なアクションシーンが実にかっこよく描かれるせいで、SF的・哲学的議論が置いてけぼりになる印象は否めない。もちろんそれは本書の美点でもあるのだが、今回の選考ではやや不利に作用したかもしれない。次の本格SF長編に期待したい。

選評   北原尚彦

 選考会の最初に、まず確認しました。「日本SF大賞の規定では、一度に『大賞』はいくつまで出せますか」と。司会の会長からは「規定はありませんが、基本的にはひとつです」と念を押されてしまいました。もちろん、過去にダブル授賞だった年はありました。ですがわたしは、可能ならば「トリプル授賞」を目指したかったのです。
 さて今回、創作組はあまりにも分が悪かったと言わざるを得ないでしょう。評論の『伊藤典夫評論集成』は、日本におけるSFというジャンルの黎明期から現代に至るまで、評論家・翻訳家としての立場から「SFとはこういうものだ」と発信し続けてきた伊藤典夫氏の文章をまとめたものです。ここに収められた文章の数々で、日本のSFの潮流、日本のSFの形そのものが創り上げられてきたと言っても過言ではないのです。本書と戦うということは、「日本のSFの歴史」そのものと戦うようなものです。
 選考において、『伊藤典夫評論集成』の大賞授賞は、選考委員の誰からも反対意見は出ませんでした。それどころか「『伊藤典夫評論集成』に授けるのが、普通の日本SF大賞でいいのか」という意見までありました。「超SF大賞」というべきものでしょうか。それも一理ありますが、選考委員はあくまで日本SF大賞の枠の中で評価を行わなければなりません。最終候補として選ばれた作品の中から、最もSF界にとって重要なものを大賞に選べと言われれば、『伊藤典夫評論集成』を選ばざるを得ません。
 あとは、残る四作についてです。これらは、奇しくも「人を継ぐもの」たちの対決となりました。介護ロボット。マン・カインド。ホテリエ・ロボット。ニュータイプ。……勝つのは誰か。
 小説のひとつは、人間六度氏の『烙印の名はヒト』。殺人罪で有罪となった介護ロボットが無実を証明すべく戦うお話。刺さる人にはものすごく刺さる文体ですが、その分読者を選ぶ作品ではないかと、思いながら読みました。
 小説のもうひとつは、藤井太洋氏の『マン・カインド』。近未来のグローバルな世界情勢と戦争を描かせてはピカイチな作者の、お得意な分野です。戦争とはどうあるべきかを考えさせられているうちに、人類を継ぐものの存在が明らかになっていきます。
 しかしおふたりは、今回ほんとうに運が悪かったとしか申し上げようがありません。『伊藤典夫評論集成』を除いても、ライバルは複数の人間たちが長い期間をかけて製作したアニメーション。しかもアニメの片方は四十年以上の歴史を持つ作品の集大成(的なもの)です。
 また、選考会の中で選考委員から出た意見として、「これはまだおふたりの最高傑作ではないだろう。これからまだ、もっと上の傑作を書けるはず」というものがありました。
 続いてはアニメーション二作。まずは『アポカリプスホテル』です。疫病によって人類が地上に住めなくなり、宇宙へ移住した後、オーナーの言いつけによってホテルを営業し続けているホテリエ・ロボットを主人公にした物語です。わたしにとっては「竹本泉のキャラクターが動いている!」というだけでも感動モノだったのですが(『あおいちゃんパニック!』から読んできたクチです)、そのSF性の高さに感服しました。特に、途中で長い年月をすっ飛ばしてしまうところ。登場キャラクターが、人間とは時間感覚の異なるロボット(や異星人)であるがゆえの展開です。
 そしてもうひとつの『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』。最初の『機動戦士ガンダム』での勝敗を逆転させ、さらにそれ以降の世界を描いた作品です。劇場公開された冒頭の部分を映画館で観た際には「やられた!」となりました。
 わたしは『伊藤典夫評論集成』『アポカリプスホテル』『ジークアクス』のトリプル授賞を提言しました。まず、『アポカリプスホテル』を強く推したのですが、「このようなアポカリプス後の世界を描いた作品は、アニメやコミックを含め、これまでにもあったので目新しさは感じられない」という意見が出ました。わたしとしては過去の作品にはない側面もあったと考えましたが――残念ながら説得しきれませんでした。『アポカリプスホテル』を強く推す、味方も得られませんでした。
 そこでわたしは致し方なく、戦略的撤退を行いました。「『伊藤典夫評論集成』の大賞授賞だけ」ということになりそうな、風向きになってきたからです。一方で、『ジークアクス』を推す味方はいました。そこで「では『ジークアクス』とダブル授賞は?」と提言したのです。しかし「『ジークアクス』を『伊藤典夫評論集成』と同等とまでしていいのか」という意見がありました。
 「ガンダムすべて」になら、SF大賞に値するのでは、という意見もありました。道理です。しかし「それだと選考委員は過去のガンダムをどこまで観るのか」という意見も出ました。やはり道理です。とはいえ、いずれにしても今回の最終候補となったのは、あくまで『ジークアクス』です。「候補は『ジークアクス』だったけれども、ガンダム全てに対して大賞を授与する」と変更する権限は、選考委員にはありません。
 そこでさらなる譲歩を行い――「では『ジークアクス』に特別賞を、ということではいかがでしょうか」という提言で、ようやく選考委員全員の賛同を得ることができました。

『伊藤典夫評論集成』は、これまで伊藤氏の文章を読んできた読者への、ノスタルジアだけの存在ではありません。若きSF読者、これからのSF読者が読んでも絶対に面白く、非常に価値あるものとなるはずです。値段が高くて買えない、という方もいらっしゃるかとは思いますが、そういう方は是非、図書館にリクエストしてください。他の区や市から越境して借りてこられる場合もありますが、そのリクエストによって新たに図書館に納入される場合もあります。そうすれば、版元にはとってはとても役に立つのです。
『ジークアクス』は、何年かに一度出現する「SFを好きでい続けてよかった」と思わせてくれる作品でした。特に、若き日にファースト・ガンダムの洗礼を受けた世代にとっては、ご褒美のようなものです。ファースト未見で『ジークアクス』を楽しんだという方は、是非、ファーストも観てみてください。
 最後に。伊藤典夫氏の評論やガンダムを浴びて育った自分が、まさか賞を授ける側になろうとは夢にも思いませんでした。受賞の皆様、真におめでとうございます。

選評   図子慧

 今回はじめて選考委員となりました。緊張のあまり、選考会では用意したメモを読むのを忘れるというミスをしましたが、五つの作品と出会い、深く読み解く機会が得られました。どの候補作も2025年を代表する素晴らしい作品でした。

藤井太洋『マン・カインド』(早川書房)
 国家間の紛争を、ルールにのっとった公正戦の一発勝負で解決する。無茶でフェアネスで、藤井太洋氏らしい策略に満ちたSF。
 ジャングルの戦闘からはじまる導入部がすばらしく、一気に引きこまれた。南米のマリファナ都市の寄せ集め軍隊と、それに対抗するアメリカの軍事企業の精鋭チームの表情までありありと目に浮かんだ。
 公正戦が軍備の戦いで終わらない仕掛けが、マン・カインドという遺伝子改良された特殊能力を持つ兵士にあることが段々とわかってくる。公正戦とマン・カインド、二つのフレームががっちり組み合わされ、権威を持つ機関によってファクトチェックされた記事が世界に報道される。その邪魔になりそうなロシアやアメリカの軍事力は、あらかじめ失われている。世界の形も変える周到さ。
 物語の中盤、分断されたアメリカを、生き残りの兵士レイチェルと主人公迫田が車で旅する過程はロードムービーのようで楽しくわくわくした。選考会でイグナシオのマン・カインド絶滅計画の動機がわからないという意見があり、わたしは動機不明も人間らしいと思ったのだが、すべて作者の計算のうちかもしれない。アメリカ旅行中に登場した賢いテスラ車がとてもかわいらしかった。

人間六度『烙印の名はヒト』(早川書房)
 つい贔屓してしまう作品。ロボットの一人称SFは数多の作品があるが、この作品の主人公ラブのように情緒にあふれて、タバコを吸ったり、趣味を持つロボットにはあまり心当たりがない。クセの強い文体で、感染力がある。読了後、自分もすっかり影響されてしまい、気がつけば「重み重み」と言っていた。
 人工知能が人権を持つかどうかのSFの大テーマを扱っているが、ロボットの主人公による殺人事件も起きて、ミステリー味もある。登場人物それぞれの感情の揺れが読んでいて心地よい。わたしとしては、介護ロボットが女性型である理由について何かの設定がほしかったところで、もしかしたら入居者の性的ケアもおこなうのかと期待してしまった(なかった)。
 文章があまりに手強いので、作家の初期作を読んだところ、独特の文体は創意工夫の結果とわかった。流し読みできないから、ひとつの文章の滞留時間が物理的に長くなり、それだけ内容が脳裏に刻まれる。読み手の心に届く仕掛けだと思う。わたしは推したのだが、賛同者がいなくて早い段階で候補から外れたのは残念だった。

『アポカリプスホテル』(TVアニメーション)
 人類がいなくなった地球の銀座のまん中で、ロボットだけで営業されているホテルが舞台。竹本泉氏によるキャラクターのかわいらしさと、クラシックなホテルで起きる人情味あふれるエピソードを毎週楽しみにしていたので、会員投票のときに一票をいれた。
 選考会の前にあらためて見直して、ほのぼのした印象とは裏腹に、強烈に風刺の効いた作品だと気がついた。分類としてはディストピアSFに分類されるのだろうが、地球が滅亡しても、ホテルはロボットたちによって整然と保たれて、清潔なベッドがあり、美味しい食事が楽しめる。それも無償で。ディストピアというより、ユートピアだ。タヌキ星人でなくても、百年間は居座りたい。
 一話から最終話まで、およそ六百年以上かかっている。最初の五十年間はお客さんが一人もこない。タヌキ星人の宿泊は百年後、百年かけて泊まり客から従業員になる。六話から七話にかけて、タヌキ星人の従業員ポンコは、廃墟に残されたオカルト雑誌に影響されて、破滅の王の襲来におびえ、次回では自衛のための武装のプロパガンダをはじめる。今の日本の情勢とかぶって生々しい。九話の結婚葬儀披露宴は、新郎新婦とご遺体が披露宴の主役となるブラックなコメディ。
 ふしぎなのは、ポンコの祖母の遺体だ。変身能力のあるタヌキ星人はショックを受けるとタヌキに戻るのだが、ポンコの祖母の遺体は地球人に化けたままだった。ヤチヨによる遺体切断マジックのタネはそのあたりにあるのだろうか。十話の泊まり客の突然死についても、死因は明かされない。作中ではほぼすべての謎の答えは言及されずに終わる。十二話でストーリー全体に粋な落ちがつく。
 選考会のとき、林氏の「『アポカリプスホテル』は日本の今の状況ではないか」という発言があり、新しい視点が得られた。アニメーションの傑作であることはまちがいない。

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』(TVアニメーション)
 何年か前、シャア専用機という赤いタイアップ商品が流行った。スマートフォンから、菓子、ゲーミングチェア、トヨタも赤いオーリスを発売した。シャアに染まった赤い歴史が日本には存在した。
 それらを浴びてきた自分には、選考に必要な客観性が欠けている。ジオンの勝利という公式による歴史改変物が作られ、すべてのフラグが回収されて、巨大装置による多元宇宙が展開して、みなが夢見た大団円へと結ばれる。ファースト・ガンダム世代の夢が成就したような作品だ。
 大賞に推したい、と、わたし含め二名が手をあげた。いかんせん好きだという以上の理屈をだせず、弾が弱すぎて無理かと思われたときに、風向きがかわって特別賞になった。もう一人の推薦者の思いが全員に届いたのだと思いたい。本当にしょんぼりしてらっしゃったので。
 スタジオカラーさん、バンダイナムコフィルムワークス SUNRISE Studiosさん、おめでとうございます。選評にもなりませんが、生きているあいだに、『ジークアクス』を見られたことが本当にうれしいです。

『伊藤典夫評論集成』 (国書刊行会)
 SF小説は好きだが、最近はSF活動が低下気味だ。そんな人間が『伊藤典夫評論集成』を読むとどうなるかを同じく活動が低下気味の人に伝えたい。
 厚さ七センチ、重量一・九キロ、二段組み総頁数一四一二頁の本は、見た目は辞書。寝転がって読もうとしても数枚で力尽きる。座って読むか、床に置いてヨガのポーズで読むことを余儀なくされた。読むノルマを決めたのだが──、面白すぎて読みふけり、なかなかページが進まなかった。
 SF同人誌としては最古の「宇宙塵」への投稿にはじまり(伊藤氏は高校生)、わたしが夢中になった古典SFがつぎつぎ紹介されてゆく。まだ翻訳されていない海外のSFを言祝ぐ伊藤氏の紹介を読んで、「早く読みたい!」とはやる気持ちになった学生時代を思いだした。SF大会に向かう珍道中や、海外のSF作家と何とか交流しようとする伊藤氏の悪戦苦闘、平易な文で書かれた文章は読みやすく楽しい。自分の人生のSFを総俯瞰できる貴重な読書体験だった。
 日本SFのすぐれた記録であり、この一冊があることでジャンルそのものが強くなると思える偉業。読むことができて本当に幸運だった。版元の国書刊行会さん、伊藤典夫さん、編集者の樽本周馬さん、協力者の鏡明さん、高橋良平さん、協力したSF界のみなさま、大賞おめでとうございます。

選評   林譲治

 日本SF大賞の選考に何度か関わってきて感じるのは、年毎に行われる選考会において、運という要素である。多くの方々のエントリーの結果、最終選考まで残ってきた作品群だけに、「去年この作品がエントリーされていたら……」ということはままある。ことしは特にその想いを強く感じた。

人間六度『烙印の名はヒト』(早川書房)
 これまで多くのロボットSFが書かれてきて、その多くが大なり小なり無批判にロボット三原則の考え方を踏襲していた。しかし、本作はそうしたなかで、その気になれば簡単に人を殺せるロボットが、どうして人を殺さないのか? 一方で、ロボットを有る思惑から人間にしたい一団もいて、人とは何か、という問題だけでなく、異質なものと共存するということとはなにか、などいまこの時代に重要な問題提起のなされている作品と思いました。かなり重いテーマを扱いながら、話を加速してゆく様は、作者の力量を示しているだろう。

『アポカリプスホテル』(TVアニメーション)
 正直、最初は舐めていたのですが、これもまた見た目のソフトさとは裏腹に奥が深い作品だと感じた。
 ロボットのホテリエがオーナーの命令をまもって、ホテルを維持する話。基本的な話の構造はこれだけだ。最初のうちはロボットたちの健気な話にも見える。
 しかし、このホテル銀河楼の構図というのは、日本の縮図でもある。世界がどうなっているかということには関心がなく、主人公の視界にあるのはホテルだけ。何のためにホテルを維持するのかという問題には関心が向かない。
 そして何百年も経過する中でホテルのロボットたちは壊れて数が減ってゆく。それでも日常はやりくりで過ごす。たぬき星人を受け入れるが、たぬき星人の文化を受容するのではなく、ホテルのルールに従うなら住むことを許す。
 しかし、たぬき星人がいないとホテルが回らないし、むしろたぬき星人のおかげでお陰でホテルは大盛況になる。そしてホテルもたぬき星人風にならざるをえなくなる。
 地球は清浄になったが、宇宙に行った人類の側が変質して地球に住めなくなる、しかし、ホテルへの逗留だけはできるというのも、一つの警句と受け取れた。
 ただ、これは製作側の意図ではなく、勝手に私がそう解釈したという側面もあるのも事実である。

藤井太洋『マン・カインド』(早川書房)
 まず圧倒的とも言えるテクノロジー描写は藤井さんの真骨頂だと思う。原理を理解していないと、こうした日常生活に密着した描写にはならない。タイトルと前半部分の描写からどういう話なのかは予想がつく。じっさいあるレビューにはSFでは割と目にするアイデアというものもあった。
 ただ、それは藤井さんも十分理解しているわけで、見るべきはアイデアそのものではなく構造にある。加速主義的なテック企業や起業家が、浅薄な社会認識によるアイデアを、資金力と技術により、遺伝子組み換えさえ倫理を顧みることなく実行する、描かれているのはこの構図であって、そこを割と目にするアイデアというのは的外れだと思う。
 本作で無視できないのは公正戦の概念で、短編集の「公正的戦闘規範」で提示されたものが最初と思うが、本作はそれをさらに洗練させている。
 ただ傑作であると感じさせる一方で、重要人物があっけなく死亡するなどして、明確に示されない謎が残る点は気になった。

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』(TVアニメーション)
 今回一番の問題作だと思う。本作を見ていて感じるのは、自分は何を見ているのかという疑問である。つまりファーストガンダムを見ている世代には、誰が何者で、ファーストガンダムとは何が違って何が同じかがわかるわけだが、そういう予備知識なしで見ると、何が起きているかわからないのではないか(シャロンの薔薇とか)。これにたいしてはわからない部分も楽しいという若い方の意見もあって、それも事実と思う。
 ただ多元宇宙もののようでいて、じつは宇宙の構造についてはあいまいで、ニュータイプの想いであっち側の世界と通じてしまうとか、ニュータイプで整合性のなさを吸収しているように見える話の構造は気になる。製作陣が描きたかったのがラストシーンであったならば、別の筋立てもあったのではないかと思う。
 個人的には難民という存在を、テーマというより物語の道具のように扱ってると見える点は気になった。
 本作を傑作という意見を否定するつもりはないが、そのことと日本SF大賞はまた別の話だと思う。

伊藤典夫『伊藤典夫評論集成』(国書刊行会)
 自分が生まれる前のことからはじまっている本書は、何よりも歴史の証言者としての圧倒的な価値を持つ。
 ただ私個人は本書を「ことしの」日本SF大賞の枠組みで議論することには若干の躊躇いもある。本書は歴史の証言者でもあり、この点で時代を超えた存在価値がある。
 しかしながら、本書の圧倒的な存在感は、間違いない。

選評   ひかわ玲子

藤井太洋『マン・カインド』(早川書房)
 アイディアの豊富さに驚きました。ただ、逆にあまりに詰め込みすぎで、このテーマで物語を書き切るにはこの三倍の尺が必要では、と思いましたし、さまざまな説明不足を感じました。ミステリー的な展開がとても面白かったけれど、かなり最初のほうでニュータイプものであることはわかる構造になっていて、ではその先にある謎に関しては、というと、イグナシオ大佐は最初の殺害で何をどうアピールしたかったのか、何に対してどう謝罪したかったか、など、謎解きの部分で結末がとても煮え切らず消化不良に。アイディア的にはとても勿体ない作品なので是非さらに深部を見せていただきたい、その時こそ大賞を、と感じました。

人間六度『烙印の名はヒト』(早川書房)
 ロボット大戦の百合テーマのエンタメ作品としてはよく出来ているのかと。面白かったです、特にケアロボットの百合ロボット対戦で、女性ロボットが重量で戦いつつ、軽やかなスカートを翻しているところなど。ただ、そもそも、何故、ロボットに性差があり、さらに「介護/ケア」の愛がその性差と結びついているのか。人間において、女性性とケアというのはそもそもデフォルトなものではないし、それを愛という問題と直線的に絡めているのは見過ごせる問題ではなく。特に人権を与えられているロボットに、愛の喪失と痛み、というものが一切、描かれていないところに、それを果たして、=愛、と呼ぶことが出来て、人権付与の根拠とすることができるのか、というのが疑問です。何でもありの作品としては面白いとしても、アシモフから連綿と続くロボットテーマの作品としてはもう一歩、踏み込んでほしいと感じました。孤独に苛まれたリュカくんを蹴り飛ばしたのは爽快でしたが、そこに愛はあったのか。大賞を獲得する作品には、そうした視線も欲しかったのが難点と感じました。

『アポカリプスホテル』(TVアニメーション)
人類滅亡後にロボットだけが生き残る日常系のこうした作品と言うと、『ヨコハマ買い出し紀行』(1994~2006、2007年星雲賞受賞)、『少女終末旅行』(2014〜2018、2019年星雲賞受賞)などの作品が思い出せる。いずれも大賞には至っていないけれど、この『アポカリプスホテル』はそうした系統から生まれてきた作品であると思われます。作品としては人気もあるし優れていると思われますが、SFとして評価すると、たぬき星人の設定が弱い(他星系の宇宙人にあるにもかかわらず、化ける、などの設定は地球におけるたぬきに準拠していて、説明もない)けれど、主人公のロボットよりポン子のほうが物語を牽引していて、ストーリーも首尾一貫しているとは言いがたいのが難点であり。先行する作品より優れているとは言いがたく。今回、大賞に推すには至りませんでした。

特別賞 『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』(TVアニメーション)
 一番議論が長引いたのはこの作品に関する評価でした。たまたま、今回の選考委員はわたしも含めて、全員が、ファーストガンダムをリアルタイム視聴した世代でして、これもひとつの巡り合わせの縁ではないか、ということで。わたしが感じたのは、やはり、赤い彗星のシャア、というキャラクター造形の、世代を突き抜けた強さでした。SF大賞では初めての《ガンダム》関係作品の受賞がこの作品になりましたが、もっと他の《ガンダム》系列の作品で大賞をとるべき作品があったかもしれません。

伊藤典夫『伊藤典夫評論集成』(国書刊行会)
 今回のSF大賞は、この一冊があったことで他の候補作品にとっては不運な巡り合わせだったかもしれません。ですが、この一冊を押しても、という作品があれば、大賞を分けることもあったかもしれません。とはいえ、この一冊に詰まった日本のSF史と血の通った時の流れは、誰もを刮目させるだけのものがありました。SFとファンタジーについてもさまざまな発見があり、読み物としても素晴らしく。やはり、今回のSF大賞はこの本で決まりだったかとわたしは思います。