第38回日本SF大賞 受賞のことば

2018年6月20日公開 | 2018年4月20日・贈賞式会場にて配布された冊子より

第38回日本SF大賞

小川『ゲームの王国』(早川書房)

浩隆『自生の夢』(河出書房新社)


受賞の言葉 小川哲

ゲームの王国 上 ゲームの王国 下

ある日、宇宙人が地球にやってきて「もっとも優れたSF小説を読ませろ。つまらなかったらこの星を滅ぼす」と言われたとしたら、僕は飛浩隆をそっと差しだします。飛作品はどれも甲乙つけがたい傑作ばかりなのですが、選択肢が少ないのが幸いです。

そんな飛さんと同時受賞ということで、恐縮するばかりでございます。


担当編集や、原稿を読んでいただいて数々の貴重なご指摘をくださった専門家の方、お話を聞かせてくれたカンボジアの方々など、この場をかりて感謝しなければならない人は多数いるのですが、まず何より、この長編を書ききった過去の自分に感謝したいと思います。もしタイムトラベルができるなら、最終稿を送ったあとの自分に「君はよくやったよ、ほんとに」と肩を叩いてあげたい気分です。それくらい苦労しました。それは、外国について書いたからでも、資料から歴史を調べなければならなかったからでもありません。
『ゲームの王国』の執筆前、自分に厳しいルールを課したからです。

小説には開始地点と目的地があり、その間に無数の「道」があります。創作とは、いわばどの道を選択するのか、ひとつひとつ決断していく作業です。僕は、『ゲームの王国』において、「いくつかの道のどれを選ぶか迷ったら、もっとも険しい道を選ぼう」と決めていました。そのルールのせいで、意味もなく崖から飛び降りて、やはり意味がなかったこともありましたし、何ヶ月もジャングルをさまよい、野生のゴリラに殺されかけたこともありました。道なき道を満身創痍で一ヶ月ほど進んだら開始地点に戻っていた、なんてことは日常茶飯事でした。

物語には、その世界で旅する作家を「よく舗装された凡庸な道」に引っ張りこもうとする強烈な引力がありまして、まだ未熟で基礎体力のない僕は、その力にあるときは抗い、あるときは従うという駆け引きでヘトヘトになっていました。

ですが、そんな試行錯誤の中で、自ら切り拓いた道がまだ見たことのない景色を与えてくれたこともありました。森の奥深くで、先人の通った獣道を奇跡的に見つけたこともありました。絶対に先がないと思っていた断崖絶壁で活路を見出したこともありました。

この喜びは、かけがえのないものです。おそらく、この喜びこそが作家にとってもっとも大事なことであり、こうして多くの方に祝福されたことによって、その事実を忘れてはならないと襟を正しています。

どんな賞をいただこうが、他人に何を言われようが、僕の小説は僕の冒険であり、どの道を選びとるかは、最終的に僕が決めなければなりません。日本SF大賞は、これまでの決断の正しさを(少なくともある程度は)認めてくれたのだと思います。ありがとうございます。

毎年すばらしい作品が多数生みだされるSF界において、こうして最終候補に選んでいただき、また賞をいただけたのは本当に幸運だったと思います。この賞を通じて僕の作品に興味を持った方がいらっしゃいましたら、ぜひ他の候補作や、運悪く候補から漏れた傑作にも興味を持っていただき、「SF」というジャンルの醍醐味を味わってほしいです。


遠い未来、地球にやってきた宇宙人に対して、(『零號琴』を含む)「多数の」飛作品や、他の数多の優れたSF作品とともに、僕の作品を差しだしてくれる人がいることを願いつつ、受賞のことばとさせていただきます。この度は本当にありがとうございました。

小川哲
小川おがわさとし

1986年12月25日、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍中。専攻はアラン・チューリングと心の哲学。2015年に、『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテストで大賞を受賞。同作は翌年単行本が刊行され、「SFが読みたい!」ベストSF2016国内篇で25位を獲得した。他の作品に短篇「ラダイトを盗んだ男」(「小説すばる」16年8月号・集英社)、「最後の不良」(「Pen」17年11/1号・CCCメディアハウス)、「魔術師」(「SFマガジン」18年4月号・早川書房)がある。またアンソロジー『伊藤計劃トリビュート2』に中篇「ゲームの王国」を、準備中の長篇の冒頭部分の抜粋として収録。その長篇版『ゲームの王国』は8月に上下巻で刊行された。webのデジタルコンテンツ配信プラットフォーム「cakes」で『古見宇博士の珍奇な発明』を連載中。東京都在住。


受賞の言葉 飛浩隆

自生の夢

表題作は、そのタイトルからもわかるとおり、水見稜氏のSF小説「野生の夢」へのオマージュである。しかし水見氏のその作品も、じつは小松左京氏の「ゴルディアスの結び目」連作や筒井康隆氏の『虚人たち』が成し遂げた実験の価値を強く意識し、新たな実験を志して書かれたものであった。

どのような文学ジャンルだって同じなのだろうが、SFではとりわけこのような影響関係――アイディアや現実を取り扱う視点、つまりは「思考」が、どのように受け継がれ変化していったか――を意識したくなる。

その意味では、個々の作品は、乗り物でしかないのかもしれない。

ひとつの「思考」が、作品から作品へ乗り換え、作中で交配し、他の作品へと子孫が分かれていく、ときに進化したかのごとく振るまい、かと思えば数代前の顔を見せたりもし、しぶとく時代を克えていく。様相を変え、ときに本質さえあっさり置き去りにして、生き延びていく。

かりに「SF」がそういう連鎖をさす言葉であるとして――
「自生の夢」はよい乗り物であれただろうか。

うまく乗り捨ててもらえただろうか。

心もとないことこの上ないのだが、このたびの賞で「まあいいんでないの」と言われたような気はする。


これをお読みの皆様へ。

きょうのこの賞を励みに、また、次の乗り物を作りたいです。

作者ではなく、読者ですらない何者かを乗せて、より遠くへ、より未来へと行く乗り物たちを。

どうもありがとうございました。

飛浩隆
浩隆とびひろたか

1960年9月5日、島根県松江市生まれ。島根大学法文学部卒業。1981年「ポリフォニック・イリュージョン」が第1回三省堂SFストーリーコンテストに入選し、「SFマガジン」誌に掲載されてデビュー。散発的に10篇の短編を発表した後沈黙、十年の空白を挟んで2002年初の長編『グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ』で復帰。同作は「SFが読みたい!」ベストSF2002国内篇で2位を獲得。04年刊の短編集『象られた力』は「SFが読みたい!」ベストSF2004で1位、第26回日本SF大賞、表題作で第36回星雲賞日本短編部門を受賞。06年刊の『ラギッド・ガール 廃園の天使Ⅱ』は「SFが読みたい!」ベストSF2006で1位、第6回 Sense of Gender 賞大賞を受賞。10年「自生の夢」で第41回星雲賞日本短編部門を受賞。15年「海の指」で第46回同賞を受賞。「自生の夢」は英訳され、翻訳作品を対象にした "2013 Science Fiction & Fantasy Translation Awards" の候補になった。また『グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ』の英訳が The Thousand Year Beach のタイトルで18年6月にHikasoruから刊行予定。現在は十六年ぶりとなる長編小説『零號琴(れいごうきん)』を準備中。島根県在住。


第38回日本SF大賞 最終候補作品(作品名五十音順)

藤井太洋『公正的戦闘規範』(早川書房)

公正的戦闘規範
藤井太洋ふじいたいよう

1971年5月5日、鹿児島県瀬戸内町生まれ。国際基督教大学中退。ソフトウエア開発会社に勤務していた2012年にiPhoneで執筆したはじめての長篇小説『Gene Mapper -core-』をセルフパブリッシングし、「ベストオブKindle本」で文芸1位となる。翌13年に増補改訂した『Gene Mapper -full build-』が刊行され商業デビュー。同作は「SFが読みたい!」ベストSF2013国内篇で4位を獲得。14年刊の『オービタル・クラウド』は「SFが読みたい!」ベストSF2014国内篇1位、第35回日本SF大賞、第46回星雲賞日本長編部門を受賞した。またこの二作の長篇小説と短篇小説「コラボレーション」(13年)、「公正的戦闘規範」(15年)が英訳されている。新潮社の「yomyom」で15年春号から17年10月号まで『ワン・モア・ヌーク』を、KADOKAWAの「文芸カドカワ」で17年3月号から同年12月号まで『東京の子』を連載。日本SF作家クラブ第18代会長。

荒巻義雄『もはや宇宙は迷宮の鏡のように』(彩流社)

もはや宇宙は迷宮の鏡のように
荒巻義雄あらまきよしお

1933年4月12日、北海道小樽市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、家業の建築業を手伝うため北海学園大学短大部土木科に入学。札幌の建築現場で働く傍ら多くのSF同人誌に参加し、論客として名を馳せる。70年、評論「術の小説論」と短篇「大いなる正午」を相次いで「SFマガジン」に発表してデビュー。72年「白壁の文字は夕陽に映える」で第3回星雲賞日本短編部門を受賞。72年刊の長篇『白き日旅立てば不死』は第1回泉鏡花賞の候補となった。また68年発表の短編「柔らかい時計」や、78年刊の長編『神聖代』などの作品は英訳され、高く評価されている。八〇年代後半からは〈要塞〉シリーズ、〈艦隊〉シリーズなどの作品を精力的に発表して、戦争シミュレーション小説の始祖となった。2012年、詩集『骸骨半島』で北海道新聞文学賞の詩部門を受賞。同年、紺綬褒章を受章。13年、札幌芸術賞を受賞。14年から翌年にかけて初期作品を中心とした『定本 荒巻義雄メタSF全集』(全7巻+別巻)を刊行、第36回日本SF大賞最終候補となった。

柞刈湯葉『横浜駅SF』(KADOKAWA)

横浜駅SF
柞刈湯葉いすかりゆば

福島県郡山市生まれ。国立大学勤務の任期つき研究者。専門は生体分子計算。2016年、「イスカリオテの湯葉」名義でインターネットの小説投稿サイト「カクヨム」に発表した長篇『横浜駅SF』が、第1回カクヨムWeb小説コンテストSF部門大賞を受賞。同年12月にKADOKAWAから書籍版が刊行され商業デビューとなる。17年『重力アルケミック』、『横浜駅SF 全国版』を刊行。短篇に「記念日」(「小説すばる」17年8月号・集英社)、「宇宙ラーメン重油味」(「SFマガジン」18年4月号・早川書房)がある。18年夏頃『未来職安』が双葉社より刊行予定。


第36回日本SF大賞 功績賞

山野浩一

受賞の言葉 山野修(故・山野浩一氏の実弟)

このたびは第三十八回日本SF大賞功績賞に選出を賜り大変ありがとうございます。

兄・浩一とは彼が20歳ごろに上京してからは年に二~三回会う程度であまり仕事のこと等を話す機会がなかったのですが、それでも「NW-SF」の発刊の頃を振り返れば、若い作家さんたちとの交流、それに加えて競馬関連の資料が山積みと、狭い自宅が足の置き場もない有様で大賑わいだったことを昨日のことのように思い出しました。

浩一は永らくSFの執筆や評論、若手の育成等の活動をしながらこういった褒賞の機会もなく、本人はそういったものに興味がないと言ったでしょうが、内心ではやはり自身の評価を気にしていたのではないかと思います。

日本SF大賞という栄誉をいただけることを兄は大変喜んでいると思います。また無類の照れ屋でしたので弟が代理でいただくほうが兄も心安らかでいられるでしょう。

このたびの受賞は日本SF作家クラブの皆様をはじめ、読者、出版社の各位による生前の山野浩一への多大なご支援の賜物と深く感謝いたします。

本来なら山野浩一の実子である山野牧子が父・浩一に代わりお受けするのがよいのですが、牧子が幼児期に別居してから二人の接点がほとんどありませんでしたので、これからこの賞等を手渡し、父親との絆を深められるようにしたいと思います。

山野浩一(Koichi Yamano)公式ウェブサイト(新)

山野浩一
山野浩一やまのこういち

1939年、大阪府大阪市生まれ。関西学院大学在学中の60年、映画「デルタ」を監督。64年、寺山修司の勧めで書いた小説「X電車で行こう」と戯曲「受付の靴下」でデビュー。「日本読書新聞」のSF時評や「日本SFの原点と指向」(巽孝之編『日本SF論争史』収録、勁草書房)など犀利なSF評論を発表しつつ、競馬評論、映画評論、文芸評論、政治評論などでも健筆をふるった。『戦え!オスパー』ほか草創期SFアニメの脚本、漫画原作も担当。「NW-SF」誌を創刊するなどニューウェーヴSF運動を日本において展開したことでも知られ、多数のプロを育てた。またサンリオSF文庫の編集顧問も勤め、前衛的な世界文学とSFを接続した。21世紀に入っても映画脚本『なりすまし』を執筆(足立正生と共作)、新作SF短篇「地獄八景」(大森望編『NOVA10』、河出文庫)を発表するなど、読者を驚かせ続けた。作品に『鳥はいまどこを飛ぶか』、『殺人者の空』(ともに創元SF文庫)、『花と機械とゲシタルト』(NW-SF社)ほか多数。東京創元社から『山野浩一全時評』(岡和田晃編)が刊行予定。また日本SF作家クラブ公認Webマガジン「SF Prologue Wave」で〈山野浩一未収録小説集〉が連載中。2017年7月20日没。
【山野氏プロフィール執筆協力/岡和田晃】