第40回日本SF大賞 選考経過 選評

2020年4月22日公開 | 2019年4月・SF大賞フェア店にて配布された冊子より

第40回日本SF大賞選考経過報告

第40回日本SF大賞の選考会は、池澤春菜、白井弓子、高槻真樹、森岡浩之、三雲岳斗の全選考委員出席のもと、2020年2月23日に都内某所で行われました。

運営委員会からは司会として林譲治会長、オブザーバーとして鬼嶋清美事務局長、SF大賞運営委員長の須賀しのぶ、記録係として小川哲、吉上亮が出席いたしました。

今回の最終候補作は以下の五作品です。

  • 《天冥の標》全10巻(総数17冊) 小川一水(早川書房)
  • 『なめらかな世界と、その敵』 伴名練(早川書房)
  • 《年刊日本SF傑作選》全12巻 大森望・日下三蔵編(東京創元社)
  • 『宿借りの星』 酉島伝法(東京創元社)
  • 『零號琴』 飛浩隆(早川書房)

選考経緯

会長による開会の挨拶のあと、選考委員それぞれが大賞に推したい作品に投票していきました。最初の投票で《天冥の標》が過半数の三票を獲得しましたが、まだ決定的な差ではなく、またその他の作品を強く推す選考委員もおり、慎重に各作品の議論を行いました。

《天冥の標》全10巻(総数17冊) 小川一水(早川書房)

SFに描けるものがすべて描かれており、大変な労作であるという意見や、性描写には個人的な引っかかりはあるが、作者が真剣に書いている熱は十分に伝わったという意見が出されました。別の選考委員から、シリーズを通読すると物語として破綻している部分が目につく、という反論が出されました。その他、話のスケールに対して人間ドラマが薄い、恋愛や性行為が重要なテーマになっているのに男女が安直に結ばれているように感じた、などの反対意見も出されました。受賞を推す選考委員は、そうした欠点はわかる、としつつも、これだけ確固とした未来史は既存の日本SFにはなかったことや、とにかく先が気になって一気に読んだことなどから、受賞にふさわしいと主張しました。

『なめらかな世界と、その敵』 伴名練(早川書房)

バラエティに富んだSF短編集で、表題作はSFとして難しいことに挑んでいる、小説の作りが上手い、エンターテイメント性がある、SFを読まない人にも勧めることができる、という意見が出されました。また、ワクワクした、日本のSFの未来を感じるすさまじい作品、という意見もありました。しかしながら、議論の中で、狭い範囲に向けて書かれているのではないか、パロディの元ネタがわかる人が少ないのではないか、という意見もあり、また完成度が高いことを認めつつ、SFとして既存の枠組みを越えているかを疑問視する選考委員もいました。

《年刊日本SF傑作選》全12巻 大森望・日下三蔵編(東京創元社)

ここからデビューした人々の現在の活躍や、日本のSFというジャンルを支えている事実などから、特別賞という形ではなく大賞を与えるべきだと強く主張する選考員がいました。議論の中で、この作品を企画として見るか、作品群として見るかによって価値が変わるのでは、という意見も出ました。素晴らしい企画ではあるが、アンソロジーに大賞を与えるのには抵抗がある、という意見や、日本SF大賞は功績などではなく、その年に一番面白かった作品に与えるべきだという反論が出ました。

『宿借りの星』 酉島伝法(東京創元社)

「日本のSF」として、他の国では決して描かれえなかった作品であり、「日本」SF大賞として誇るべきではないか、という意見が出ました。それに対して、酉島作品としては読みやすい分、これまでの作品よりは新しさに欠けるかもしれない、という意見も出ました。しかし、別の選考委員から、本作品が次郎長三国志のパロディである確固とした理由があり、わかりやすさをもとにして別のセンスオブワンダーを実現しており、読みやすさは決して弱点ではない、という反論がされ、受賞を強く推す声もありました。

『零號琴』 飛浩隆(早川書房)

純粋にSF小説として一番楽しく、設定もキャラクターも素晴らしい、SFとして想像力が拡張されたという意見が出ましたが、パロディがうまく機能していないのではないか、また、他国に翻訳するときに、様々な要素が伝わりにくいのではないか、『自生の夢』に比べて普遍性に欠ける、という反対意見もありました。受賞を推す委員からは、完成度の部分でパロディが弱点だという点はわかるが、それを含めても今の日本を表象している、という反論もありましたが、別の選考委員から、読者によって作品に対する理解度が違うのはもったいなく、また読者が置き去りにされてしまった部分があるかもしれないという意見が出されました。

最終投票

今回はとても豊作で、候補の五作品すべてが受賞に値する素晴らしい作品であることは選考委員全員が同意するところでしたが、その中から受賞作を選ばなくてはならず、大変白熱した議論が繰り広げられました。

議論の過程で『零號琴』、『なめらかな世界と、その敵』の二作が受賞には至らず、《年刊日本SF傑作選》については、日本SF大賞の役割まで議論が及んだすえ、アンソロジーゆえに他の作品と同列に比較しにくい、という意見が多数となり、《天冥の標》と『宿借りの星』のどちらを受賞作にするか、激しい議論が行われました。

《天冥の標》を推す委員が三名おり、『宿借りの星』を推す委員は二名でしたが、議論の中で、どちらの言い分も間違いではない、それぞれの作品の弱点を挙げ連ねるのは本意ではない、という意見が出され、最終的に《天冥の標》と『宿借りの星』の二作品を大賞にすることが決まりました。また、日本のSFに与えた大きな影響から、《年刊日本SF傑作選》に特別賞を与えることも決定しました。

また、昨年惜しくも亡くなられた、眉村卓氏と吾妻ひでお氏に功績賞、小川隆氏と星敬氏に会長賞を、それぞれ贈ることが林会長より提案され、了承されました。

記録・文章:小川哲、吉上亮

第40回日本SF大賞 選評

選評池澤春菜

候補作が発表された時につくづく思いました、選考委員引き受けるんじゃなかったって。そもそもわたしにお話が来た時点で、日本SF作家クラブの深刻な人材不足を心配していたのです。かててくわえて、この候補作のラインナップ……この時期、色々な人がにやにやしながら「今年は大変だね」とわたしのところに言いに来るんです。だったら代わって下さってもいいんですが?!
 選考会当日の朝まで、正直に言えば選考会のその瞬間まで、自分の中で答えは出せませんでした。何度も日本SF大賞の理念である「SFとしてすぐれた作品であり、『このあとからは、これがなかった以前の世界が想像できないような作品』や『SFの歴史に新たな側面を付け加えた作品』」という文を読み返しました。この賞が向いている先はどこだろう、誰に何を届けたいのだろう、「すぐれた」って何をもって? 毎年大変だと思うのです。でも、今年ほど「どの作品も大賞に相応しい」という言葉がはまる年もないような。

当初からわたしの中にあったのは小川一水さんの《天冥の標》シリーズでした。以前この作品をラジオでご紹介した時に言った「SFに描けるもの全部」。全10巻17冊に詰まったテーマ、時と場所双方に渡るスケール、そして小川さんならではのどんな凄惨な景色、暗澹たる先行きを描いてもほの見える希望と明るさ、どれをとっても今、日本SFにはこれがあるよ、と世界に向けて知らせたい作品です。議論を重ねていくうちに、人によって珠玉と見えるところも他の方にとっては瑕瑾と見えたり、それぞれが物語に求める形が違うことが明らかになっていったのも面白い経験でした。
 わたしは、この作品が持つ揺らぎこそが、美点に見えていた派です。10年たてば世界は変わる、作者の考え方も。変わらない物語はない。大事なのは、間違えないことよりも、その時その時で正しいものを選び続けること。この10年、SFが辿ってきた道を見るための道標的な意味でも、重要な作品であると考えます。

『なめらかな世界と、その敵』、伴名練さんは人生何度目なんでしょうね……。SFとしてど真ん中で、でも新しくて、短編一つずつが想像や思惑を軽々と凌駕していく。この先に待っている日本SFの未来はなんて明るいんだ、そう思わせてくれる。『SFの歴史に新たな側面を付け加えた作品』という点では、伴名練さんが最も相応しいのではないかと思いました。その上で、強欲で身勝手な読者としては、「まだきっと、もっと」先を求めてしまうのです。今後の候補作の常連になって下さることを願って、今回ではないのではないか、ということになりました。

大森望さん、日下三蔵さんの《年刊日本SF傑作選》は高槻さんが強く推され、その理由も聞いて納得できるものでした。毎年発表される作品群は、間違いなく日本を代表するものであったし、ここから大きく羽ばたいていった若い作家も数多くいます。揺籃であり、とっておきのチョコレートボックスであり、博覧強記のお二人の選者だからこそ為し得た偉業です。「SFとは何か」を問い続けた姿勢は、日本SFの礎に少なからぬ影響を与えたはずです。特別賞をお贈りすることができて嬉しく思います。

『宿借りの星』!! ポップでキュートでキャラ萌えな酉島伝法さん、という一見ミスマッチに思えて、その実こんなにしっくりくる組み合わせもない作品。読み進めていくうちに、人間である自分の視点が異種族と同化し、世界を全く違った風に見始め、そしてさらに二転三転翻される。言語は脳のOS、思考する言語によって我々のとらえる世界も変わっていきます。卑近なところで言えば、英語で考えるわたしは少し押しが強くて論理的ですし、スペイン語で思考するわたしは少しいい加減でざっくりしているかもしれません。稀代の翻訳者である酉島さんは異星言語を日本語に翻訳することで、わたしたちの脳のOSに強制アップデートをかけてきます。読み終えた時には完全に浸食され、つい「これはずぉわいぞ」と呟いてしまう、腕の数が足りない気がする、あれ、そういえば目の数も足りなくない? そういう意味ではこれこそ『新しい視点』をもたらした作品、と言えるのではないでしょうか。

そして『零號琴』。わたしが、そして選考委員全員が最後まで悩んだ作品です。凄まじい熱量と情報量とで読む者を圧倒し、飲み込み、押し流していく奇書。ですが、疾走するイメージと前衛的な筋を支えるのは、やはり飛さんにしか持ち得ない繊細な言語感覚と緻密な構成です。粗筋の奇矯さを超えていく、全ての言葉が、全ての筋がこうでなければいけない、という、研ぎ澄まされた配置。とんでもない部品を組み合わせて作られた、稀代無体のジェンガ。飛作品を読む度に覚える恍惚と恐怖は、かつてブルガリアのリラ修道院の燦然たる内装を見た時と重なります。理解するのではなく、ただその前に額ずくしかできない。今わたし、相当気持ち悪いですね。
 なのでわたし的には、まさか選考委員の意見が割れるとは思ってもいなかったのです。『零號琴』は、見ている景色が人によって大きく異なった作品でした。人それぞれ、本の読み方が違うのは当たり前です。けれど、個人の経験や経てきた時代によってこれほどまでに見えるものが違う作品は、大賞としてどうなのか、という意見が出ました。普遍性のある物語が良い物語なのか。誰にとっての普遍性なのか。これは賞の意義と共に、考え続けなければいけない点だと思います。

戦いすんで日が暮れて。
 選考会というのは経験してみれば、当代随一の読み手が集まるエクストリーム読書会。自分自身の読み方や視点が、選考委員の皆様の深い洞察を得て刷新されていく面白さ。なるほど、と、確かに、と、それもある、がどんどん積み重なっていく。
 SFの豊かさ、そして日本SFの豊かさ、同時に自分自身の読みの浅さと至らなさも思い知った2時間でした。
 このような素晴らしい、そして凄まじい候補作が揃った年の選考委員になれて、禿げるほど光栄です。なので今年の選考委員に星雲賞を下さい。

選評白井弓子

《天冥の標》は全10巻、17冊にわたる大長編だが、飽きるという事が無い。1巻ごとに作りが違う、世界の正体がわかるまでの前半は特にスリリングだった。構成で驚き、あっと驚く大ネタで驚く。結末までの展開は笑いが出るほどのスケールで驚く。エピローグで等身大に戻ってきて、ささやかだが大切なメッセージを受け取って涙し、ページを閉じた。
 正直なところ性愛をめぐるあれこれでは自分とは価値観が違うと思うところが無いでは無かったし、感染症と差別をめぐる戦いを描くのにこの展開が「適切」だったかどうかは心が揺れたところもある。だが小川氏の中での問いかけ、心の格闘を生で見せられるようなその熱は、この作品にしか無い生気を与えているように思えた。

『宿借りの星』は酉島氏独特の漢字表現が異様にハードルが高く、1ページ目で何度もはねかえされる。だが辛抱して読んでいると、異星の種族の視点がインストールされ、異星の種族の存在のまま人類の姿を見て、その気色悪さに戦慄するという稀有な体験ができる。緻密なSF的仕掛けと情の流れが一つになって、読み始めの印象と異なるさわやかな読後感を得られる愛すべき作品だった。

《年刊日本SF傑作選》は自分もマンガの短編が掲載され、SF読者の方々に存在を知ってもらえたという「受益者」の一人である。雑誌の読み切り作品、同人誌の中の一篇、ありえないほどのカバー力でSF短編が見つけ出され編まれてきた12年。そのSFシーンにおいての評価は私には難しく、ロングスパンの視点を持つ選考委員に依ったところが大きい。だがその功績の大きさについて、異議をはさむ理由が無かった事もまた事実である。

机の上から以下の2冊が除かれた時、赤いきらめきと黒と金のうねりが消えた時の動揺が忘れられない。どちらもそれほど存在感のある作品で、選考委員が皆呆然と見送ったという空気であった。

『なめらかな世界と、その敵』に収録された伴名練作品は一つ一つがキリリとした輪郭を持ち、赤い宝石箱といった印象の1冊だった。特に「ひかりより速く、ゆるやかに」は構成の種明かしをされた時の驚きもさることながら、〈災害と創作〉という事について考えさせられズキリと来る。「シンギュラリティ・ソビエト」のイマジネーション、「ゼロ年代の臨界点」は歴史改変に終わらない胸に迫る仕掛けがあり、唸った。あまりに秀作すぎた、という事かもしれない。既存SFの範囲内におさまっているのでは、という声にうまく反論する言葉を見つけられなかった。

『零號琴』は内へ、さらに内へ、外へ、さらに外へ、何重ものレイヤーになった物語の大伽藍だった。飛作品ならではのゴージャスな地獄に、子供のための物語という要素を織り込んで希望への風を吹かせるはなれわざ。私たちになじみのアニメや特撮が古い形式や神話と組み合わさって次の神話を作っていく、その流れは既に始まっていて、個人的にも大好きなテーマでもある。それなのにうまく消化できなかったのは私のキャパシティーの問題だったと思う。かたときもじっとしていない金色の伽藍を消化しようとしてはいけなかったのかもしれない。レイヤーのどこかに自分を置くべきで、実際そうだったような気もする。選考会の事を思い出すと、鳴っていなかったはずの音が鳴っているし、目の端でうねりは続いている。

選評高槻真樹

もう一度選考基準を読み返してみよう。「SFとしてすぐれた作品であり、『このあとからは、これがなかった以前の世界が想像できないような作品』や『SFの歴史に新たな側面を付け加えた作品』」とある。
 ならば、SFにより多くの新しいものを付け加えた、功績の分量で評価すべきだろう。《年刊日本SF傑作選》以外にあり得まい。スタート時には、ゆるやかな復興の途上だった日本SF界に確固たる核を形成し、ジャンル内で知られていなかった作家を次々と紹介した。今回候補作のひとつとなった伴名練も発掘している。さらには創元SF短編賞を立ち上げ、酉島伝法や宮内悠介ら第一線に躍り出る俊英たちを次々と見出した。
 だが他の選考委員は私の説明に、「それは思ってもみなかった」「これは最初から外していいなと思っていた」という反応で、唖然としてしまった。
 私の主張には誰もが「なるほど」と言った。だが、やはり大賞は小説から出したいという意見が多い。そこでひとつずつ、小説四作品を見比べて、候補を絞っていくことにした。その後で《年刊日本SF傑作選》については考えようということになったのである。
 伴名練『なめらかな世界と、その敵』は、確かに大変な才能の出現を感じる。ただ、あまりにも狭い範囲に向けて書かれすぎなのも確かだ。このまま日本のジョン・スラデックを目指すのであれば、それはそれで応援したい。だが収録作最後の一本「ひかりより速く、ゆるやかに」はそうではない。恋愛と自尊心の間で引き裂かれる苦悩は、SFをまったく知らない層にも幅広く届くだろう。本人はこれが「読む人を選ぶ作品」と思い込んでいるらしい。逆である。もう少しこの路線を攻めてみてほしい。
 飛浩隆『零號琴』については、胸が痛む。私は飛さんに謝らなければならない。第38回の選考で「どうせ『零號琴』でまた受賞になるのだし」と『自生の夢』の受賞に反対票を投じてしまった。だが、他委員の指摘通り「先のことはわからない」のである。今回の最終選考作品のうち長編三作品はすべて異星を舞台にした宇宙SFであった。あまりにも比較しやすく、本作品の欠点が大きく浮かび上がることになってしまった。「プリキュア」の使い方の問題である。飛さんはあまり詳しくないまま手を出されたようだが、今回の選考委員はアニメに詳しい方が多く、「プリキュア」に出演している人すらいる。魔法少女をダークな展開に用いる路線は「魔法少女まどか☆マギカ」以降、模倣作がうんざりするほど氾濫しており今更感が強い。しかも今年は「まどか」の番外編「マギアレコード」のアニメ版が放映され、本家の風格を見せつけている。魔法少女とアヴァンギャルド表現を結びつけるためには、ただ出せばいいわけではなく、それなりに工夫が必要である。もちろん『零號琴』自体の完成度は尋常ではなく高い。だが、この状況では推しづらい。あまりにも運がなかった。
 《天冥の標》については、どう評価すべきなのだろうか。残念ながら、私には他の委員のように手放しで絶賛する気にはなれなかった。確かに五巻目まではすばらしい。だが、六巻目以降、全体の三分の二にも及ぶ膨大な分量は必要だっただろうか。この内容ならば十分に一巻に収まってしまったはずである。もし全六巻で収まっていたら、完璧だった。文句なく推しただろう。しかし仕込みの倍近い分量を費やしてのろのろとネタが明かされた結果、すべてがバレバレとなり、なにひとつ驚けなかった。台無しとはこのことだ。あちこちで語られた伏線の多くは不発に終わり、行方不明に終わったテーマも少なくない。大長編が効果を発揮せず枷となってしまっており、十分にコントロールされているとは言いがたい。なによりも植民地惑星メニー・メニー・シープと太陽系を繋ぐ仕掛けを「なんとなくそうなった」で終わらせてしまったのは、致命傷と言ってよかった。あまりにもだらだらと書き継がれた結果、結論も曖昧で、ぼんやりとしている。
 私の指摘に多くの委員は「なるほど」と納得しつつも、それでも《天冥》を推したいと言う。ならばどこに魅力があるのか説明してほしいと求めたのだが、うまく言葉にならない。とにかくいいのだと。これでは歩み寄りが難しい。
 そこで「小説ならばむしろこちらではないか」と私が推したのが酉島伝法『宿借りの星』であった。こちらも異星を舞台とする宇宙SFなのだが、ただの思いつきに思える「次郎長三国志」のモチーフにもきちんと意味がある。衝撃作『皆勤の徒』に比べればわかりやすくなりパワーダウンした、という委員の意見が多数だったのだが、実はこの「わかりやすさ」が伏線であった。本書の企画段階で編集サイドからは「今回は人間の話にしてください」と要望があったそうだが、これもきちんと守られている。本当は人間の話なのだ。一見ぐちゃぐちゃなのに、分析すると空恐ろしい完成度に衝撃を受ける。最初は私以外誰も推していなかった本作品が、気が付けば《天冥》と肩を並べるところまで来ていた。
 だが、それでも《天冥》を推したいと言う委員が三名。反対派は二名。まったく納得できないが、「投票で決着」か、「《天冥》と『宿借り』の同時受賞で《年刊日本SF傑作選》は特別賞」か、のどちらかを選ぶよう迫られ、折れるほかなかった。そもそも時間切れで、《年刊日本SF傑作選》についてはじっくり議論する機会すら取れず、ここまでの議論の積み上げで妥協点を探るしかなかった。苦い結末である。
 今年で三年の任期を終える。反対意見に耐えて小川哲さんを推した38回、全会一致で山尾さん・円城さんを推した39回、そしてただ一人『宿借り』と《年刊日本SF傑作選》を推した今回。「アンタがいなけりゃ、毎回シャンシャンだったんじゃない?」と妻には言われてしまった。そうかもしれない。だが、空気に抗することで、賞の深みは増したと自負している。願わくは、次回以降も「待った」をかけてくれる興味深い少数意見が現れてくれることを祈りつつ、今後も外側から、賞の行方を見守りたい。

選評三雲岳斗

とにかく分量の多さが目を引く今回(第四十回日本SF大賞)の最終候補作ですが、内容においても傑作揃いで、その中から受賞作を選び出すのは大変な苦痛を伴う行為でした。私の中でも最後まで各作品の評価が拮抗し、迷いを抱えたまま選考会に臨むことになりました。
 『なめらかな世界と、その敵』は、先行作品に対する多くのオマージュをちりばめつつ、緻密な論理と繊細な空気感をまとった、完成度の高い短編集です。
 表題作に顕著ですが、読者を困惑させることなく難解な世界観を浸透させ、かつ登場人物の心情を鮮烈に描き出す表現力は見事でした。また「ゼロ年代の臨界点」や「ホーリーアイアンメイデン」で見せた文体の多様性、「ひかりより速く、ゆるやかに」の持つ叙情性など、幅広い層に訴求する力は候補作の中でも随一だと考えます。
 惜しむらくは、大作揃いの他の候補作に抗しうるだけの「圧」が、本作には欠けていたように思います。それをもって本作の評価が他に劣るということではありませんが、今回の大賞に強く推すことはできませんでした。
 『零號琴』は個人的にもっとも楽しく読ませてもらった作品でした。巧みな文体から紡ぎ出される壮大なビジョンと、煌びやかで濃密なイメージの奔流を思うさま堪能できる、贅沢な娯楽小説です。作中で描写される世界の美しさと生々しさが、荒唐無稽な展開に息苦しいほどの説得力を与えており、軽やかでありながら重層的な物語の構築に成功していると思います。
 特撮やアニメ等のポップカルチャーのパスティーシュが頻出することについて批判的な意見もありましたが、私はそれを本作の魅力のひとつと解釈しました。そのようなパスティーシュこそが作中で台本作家ワンダが試みた行為そのものであり、同時に過去作のサンプリングや二次創作が氾濫する現代のポップカルチャーに対する合わせ鏡になっている、と考えたからです。
 そうした入れ子構造が作品に完全に馴染んでいるかというと、意見の分かれるところだと思います。それでも本作が素晴らしい娯楽作品であることには変わりなく、最後まで大賞に推したいと考えていた作品のひとつです。
 『宿借りの星』は、極めて個性的で緻密な世界観を持つ長編SFです。異星生物の奇妙な生態や造語を多用する独自文体などの、酉島作品に欠かせない要素に加えて、本作では構成とストーリーテリングの妙という新たな魅力が発揮されています。その結果、意外なほど読みやすく、かつ読み応えのある作品になっていると感じました。
 物語としては任侠もののテイストを踏襲しており、異星生物がそのような人間的な思考をすることにやや困惑を覚えます。ただ、それがSF的なギミックの一部であることが解き明かされると加速度的に面白さが増していきます。
 不気味なはずの異星生物たちが、物語を読み進むにつれて愛すべき存在として身近に感じられるようになり、自らも彼らの一員であるかのような錯覚に陥る、そのような読者の意識が変容する体験は、優れたSF作品ならではの魅力だと思います。
 本作に欠点を探すとすれば、やはり個性の強さゆえに読み手を選ぶことでしょうか。ですが作品としての魅力に間違いはなく、だからこそ本作をより多くの読者に届ける一助になればと、SF大賞に強く推させていただきました。
 《天冥の標》は全十巻(十七冊)にわたって刊行された壮大なスペースオペラです。これほどまでの規模で描かれる未来史は日本SFとしては大変貴重で、その功績に疑いはありません。
 今なおリアルで身近な恐怖であるウイルス禍を作品の重要な要素に据えた先見性や、遠未来、銀河規模にまで飛躍するイマジネーションの広がりは素晴らしいものでした。なによりもこれだけの世界観を、揺らぐことのないひとつの物語として結実させた筆力と構想力には心より敬意を表します。
 ただし選考にあたっては、私は本作の評価で大変苦慮しました。
 単一の作品としてテキストだけを見た場合、本作には、長期シリーズの弊害である冗長な部分やストーリーの密度のムラがあり、完成度で他の候補作に一歩及ばないと感じます。一方で積み上げた物語の質量、読者を楽しませてきた時間の価値を思えばSF界への貢献度は圧倒的です。
 これは大賞のレギュレーションにも関わる問題で、もし仮に将来、数十年、数百冊かけて親しまれてきたシリーズが完結したときに、それをその年の大賞候補作として扱うことがフェアなのか、という疑問にもつながります。そのような規格外の作品を扱うために特別賞という規定が設けられているのではないかと考えました。
 それに対しては他の選考委員より、本作が事前選考を経て大賞候補に認められている以上、当然、大賞受賞の正当性を持つ。という指摘がありました。極めて妥当な指摘です。であれば、本作の評価に異論はなく、大賞として同意しました。
 《年刊日本SF傑作選》全十二巻は、二〇〇七年から二〇一八年にかけて、各年ごとのSF短編を集めた年刊ベストアンソロジーです。収録作品は多岐にわたり、未発表作や私家版など限られた人々の目にしか触れなかった貴重な作品も多く紹介されています。毎年の日本SFを取り巻く状況を記録した資料としても極めて高い価値があります。編者である大森望・日下三蔵両氏の卓越した知見と費やした労力には畏敬の念を禁じ得ません。
 なにより特筆すべきは、今回の大賞作家でもある酉島伝法氏をはじめ、多くの重要作家を輩出してきた創元SF短編賞の受賞作が収録されていることでしょう。
 選考会では、それらの功績を鑑みて、本作こそ大賞に相応しいという意見も出ました。
 しかし今回の選考では小説にも有力作品が多く、それらを押しのけてまでアンソロジーを大賞とするのは困難という結論になり、特別賞を贈らせていただくことになりました。
 最後になりましたが、今回の候補作の評価は伯仲しており、受賞作はもちろん、それ以外も今後語り継がれるべき傑作ばかりであったことはあらためて強調しておきたいと思います。この機会に、各作品がより多くの読者の目に触れることを願っています。

選評森岡浩之

「どの候補作が受賞してもおかしくなかった」とは、賞を選考する者の常套句だが、今回ほど当てはまるケースは稀だろう。「あまりの豊作に選考委員は嬉しい悲鳴を上げた」などという言葉も月並みだが、なにが嬉しいものか。第四十回を記念して全員同時受賞という特例を認めてもらえないものかと思った。
 今回は本当にすべての候補作が大賞クラスで、受賞していただきたいと心から思った。
 そのなかでわたしは、《天冥の標》を推した。
 改めて読み返すと、舞台が空間的だけではなく時間的にも広大であるのにもかかわらず、強固な構造を持っていることに驚く。出版形態上、シリーズ扱いはされているが、一本の長編として読むべきではないか。
 本書に登場する諸勢力は、それぞれに魅力的な個性付けがなされている。SF的リアリティのある背景を持ち、時代や見る立場によって様々な顔を見せるのだ。
 登場人物の描写が薄い、という指摘もあったが、そのぶん諸勢力のキャラが濃いのだから、重大な瑕疵とは感じられなかった。
『なめらかな世界と、その敵』は、バラエティーに富んだ短編集で、なんらかの形でぜひ評価したいと感じた。表題作はたいへん意欲的で、時代を切り開くエッジになりうるだろう。掉尾を飾る書き下ろし「ひかりより速く、ゆるやかに」は、瑞々しい題材を高度な技巧で料理した一篇で、SFに馴染みのない読者にも、度しがたいSFファンにも楽しめるはずだ。好みという点でいえば、いちばん楽しめたのは「シンギュラティ・ソヴィエト」である。読者の現実も侵蝕するような、ぞわぞわする読書体験を与えてくれる。他の短編にいちいち言及することは控えるが、いずれも珠玉と形容するに相応しい。これほど上質な短編集は滅多にあるまい。
 しかし、《天冥の標》よりも受賞に相応しいかと自問したとき、首を捻らざるをえず、断腸の思いで推すのを諦めた。
『零號琴』の冒頭部分を読んでいるとき、一九六〇年代に書かれたある海外短編が頭に浮かんだ。背景の醸し出す異郷の雰囲気、〝仮面(假面)〟と〝音楽〟というキーワードから連想されたものに過ぎず、読み進めるうちにそれほど似ているわけではないことはわかった。しかし、同じテーストを感じた。基本は、異郷を舞台にしたエンターテインメントなのである。ただ、物語を彩るサブカル要素がわたしには充分に理解できなかったため、正当に評価できなかった憾みがある。
『宿借りの星』も異郷小説である。必ずしもとっつきやすいとは言えないが、読みはじめると意外にものりが軽いことに気づかされる。異形の生物を創造するのは難しいが、異質な内面を付与するのはもっと難しい。本作のキャラクターは、悪夢から湧き出たような外見を持つ。しかし、内面は人間そのものであり、やや失望した。もっとも、異質な内面を持つキャラクターというのはリーダビリティと相性が悪そうであり、読者のことを考えれば、やむをえないとも考えたが、不満は残った。ところが、読み進めるうちに、異形の彼らが人間くさい理由が判明する。しかも、それがストーリーや世界観と密接に関係し、必然性を持っていたものだから、感心させられた。
 様々な理由により、第一には推さなかった。確かに、完成度という意味では、候補作中随一である、という他の選考委員のお言葉には首肯せざるをえない。しかし、瑕疵の多少という減点法で判断していいのか、という疑問は解消できず、《天冥の標》への推薦を取り下げる気にはなれなかった。
《天冥の標》と『宿借りの星』の同時受賞という案が出たときは、救われたような気分で賛成した。くどいようだが、わたしは今回の候補作、すべてが大賞に相応しいと感じているのである。それでも、ひとつに絞るのが選考委員のあるべき姿なのかもしれないが、努力の限界だった。
 さて、日本SF大賞では何度もアンソロジーが候補に挙げられてきた。だいたい「特別賞」という結果に落ち着いたと記憶している。
 今回も、《年刊日本SF傑作選》は特別賞が妥当な落としどころだろう、と考えて、選考会に臨んだ。しかし、自分の予断がいかに安易であるか、思い知らされることになった。日本SFの現状を的確に示すのに留まらず、創元SF短編賞と連動して新しい才能をプロダムに供給してきた。また、同人誌やマイナー誌への目配りも素晴らしい。そういった功績は充分に認識しつつも、今回ほど豊穣な年にアンソロジーへの贈賞を主張する勇気が出なかった。基本的に作品賞である、多くの文学賞には、起こりえない葛藤であろう。
《年刊日本SF傑作選》を特別賞としたことで、「保守的」と罵倒されるかもしれない。覚悟の上である。