第45回日本SF大賞選考経過 選評
第45回日本SF大賞選考経過報告
第45回日本SF大賞の選考会は、池澤春菜、大森望、斜線堂有紀、立原透耶、林譲治の五名の選考委員が出席し、2025年2月15日にオンライン会議にて開催されました。また、自作が候補となった池澤春菜は選考会には参加せず、書面にて各作品の講評を発表しました。
運営委員会からは司会として井上雅彦会長、オブザーバーとして日高真紅事務局長、技術係として藤井太洋、記録係として十三不塔、中野伶理が出席いたしました。
今回の最終候補作は以下の五作品です。
- 春暮康一 『一億年のテレスコープ』(早川書房)
- 荒巻義雄・巽孝之 編 『SF評論入門』(小鳥遊書房)
- 宮西建礼 『銀河風帆走』(東京創元社)
- 市川春子 漫画『宝石の国』(講談社)
- 池澤春菜 『わたしは孤独な星のように』(早川書房)
選考経緯
司会の井上会長の挨拶の後、各選考委員が受賞作として支持したい作品を発表する形で選考会が始まりました。(書面参加となった池澤春菜委員の講評は、井上会長が代読しました)
その結果、『一億年のテレスコープ』と『宝石の国』を推す委員が三人、『銀河風帆走』を推す委員が二人いました。
最初の投票を終えた後、各選考委員が順番に、それぞれの候補作に対して講評をしていきました。
この講評でもっとも票を集めた作品である『宝石の国』について、選考委員司会の井上会長が、日本SF大賞にふさわしい作品の基準「このあとからは、これがなかった以前の世界が想像できないような作品」「SFの歴史に新たな側面を付け加えた作品」にふさわしいものとして受賞作とすることに反対意見がないかを各委員に確認、反対意見はないものとして承認を得ました。
その他、投票のあった『一億年のテレスコープ』と『銀河風帆走』について、SF大賞としての同時受賞とするか否かの議論が交わされましたが、『銀河風帆走』に特別賞を与えるという意見で一致しました。
その後も選考委員により議論が尽くされた結果、第45回日本SF大賞の受賞作として『宝石の国』、特別賞として『銀河風帆走』を選出することが全会一致で決まりました。
春暮康一 『一億年のテレスコープ』(早川書房)
『一億年のテレスコープ』については、構成力の高さや、SFを正面から描いており、アイディアの広さや宇宙生命体の描き方、視点の新しさなどが高く評価されました。読みものとして楽しめるスペースオペラであり、どこまでも遠くに連れていってくれる傑作であるという賛辞もありました。また、肉体を捨ててデータ化して航行する物語の場合、一般にはネガティブになりがちだが、本作では悲観的ではなく冒険活劇的に楽しめたという感想も出ました。
一方で、人格はコピーできないので人に近い状態で長命で変化がない点や、三人の関係性が一億年も続いている点、グレッグ・イーガンの『ディアスポラ』などのアンサーソングとも言えるが、設定などに既視感があり、SFファンとしては居心地がいいが、今のSF界にインパクトを与えるかというと疑問である点などが指摘されました。
荒巻義雄・巽孝之 編 『SF評論入門』(小鳥遊書房)
『SF評論入門』については、SFの羅針盤として多様で多角的な分析を行っており、新奇性のある作品を取り上げている点などでスピード感やリアルタイム感があり、大きな影響力を持ちえるという意見が出ました。
読みやすく、この本単発で見るとレベルは高いという評価が多い一方で、取り上げている作品の男女比率の大きさ、中国や韓国の作品への言及の少なさ、今アンソロジーとして出すものとしては時代と切り結んでいない点などへの指摘もありました。
宮西建礼 『銀河風帆走』(東京創元社)
『銀河風帆走』については、科学というプロトコルに従えば高校生でも結論に至ることができて理性に対する信頼がある、環境問題を科学で解決するというストレートな作品は今まであまりなかったのでこの視点は必要、高校生が最大限にできることをするという意味でSFとして誠実である、といったSF的な要素に関して高い評価を得ました。
加えて、SFは小説として若い人に浸透させるのが難しいが、本作は青春群像なので若い人に読んでもらいたい、ジュブナイルとしてみずみずしく心地よい、壮大な疾走感がある、ラストも素晴らしいという点で、人間ドラマや読み心地、物語としての完成度の高さに言及する感想も多く見受けられました。科学的交渉がしっかりなされており、海外で翻訳されて太刀打ちできる作品でもあるという見解もありました。
長編になりうるアイディアを作者都合で短編にしたものが見受けられる点や、『一億年のテレスコープ』との共通点があるので悩ましいという意見もありましたが、こうした傑作が同時に生まれたことが喜ばしいという見解に至り、本作に広い可能性を見出す方向に収束しました。
市川春子 漫画『宝石の国』(講談社)
『宝石の国』については、SF大賞の選考にあたり、小説・漫画・評論などを同列に比較するのは難しいものの、本作は多様なメディアの中で比較しても独創的な世界観であり、展開も前代未聞で、物語的な新しさがある点で高い評価を得ました。加えてビジュアルが圧倒的で、「漫画だからできることに嫉妬する」という意見もありました。
SFとして見ると、『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍)の系譜に連なり、救済されそこねた人を機械で救おうとして失敗するなど、小説のSFでは書かない設定を用意した上で、最後には伝統や懐かしさを感じさせる決着に至り、古いSFファンをも感動させる力を持つという発言もありました。
その他、キャラクターのアイデンティティが役割になってしまう悲しさと、次の生命に譲る悲しみが繋がっており、日本SFの中でも独自の世界観を構築している点や、仏教とSFの融合という意味でこれ以上のものはない点、SFの門戸を広げる可能性があるという点、本作を読み終えたら涙ぐんだなど、多くの長所が言及されました。
終末論的な内容についての疑問もありましたが、概ね最後も希望があって寂しくはないという結論に至りました。
池澤春菜 『わたしは孤独な星のように』(早川書房)
『わたしは孤独な星のように』については、まず文章の美しさについて言及され、候補作の中では文章力は一番高いとされ、美しい詩的な文章で、繊細で柔らかな表現がなされている点が評価されました。
内容に関しても、バカSFの体裁をとりつつディストピアSFの構造を持っている作品もあるなど、全体が考えられており、第一短編集として素晴らしい、多くの人に読んでもらいたいという評であり、本作のような作品が候補に入ったこと事態がSFの多様性を示している、という発言がありました。一方で、他の候補作に比べて作品が短いので、今回の受賞は難しい、という意見もありました。
最終投票
選考委員ごとに各作品の講評をした後に、それぞれの講評への疑問点や、候補作を読んだ全体的な感想などについて話し合いがされました。
高い評価を得た『宝石の国』『銀河風帆走』『一億年のテレスコープ』の中でどれに賞を与えるかで議論になり、漫画と小説、長編と短編だから比べるのが難しい、だがそういったものを一緒に考慮することができるのがSF大賞の醍醐味である、と議論が膨らみました。どれも優れた作品であり悩ましいが、本賞の性質としてはより攻めた作品を、という意見もありました。そんな中、もっとも票を集めた『宝石の国』を大賞、『銀河風帆走』を特別賞とすることが全会一致で決まりました。
功績賞については、日本SFの発展に多大な寄与があった、故・楳図かずお氏、故・山本弘氏、故・住谷春也氏に贈られることが会長より提案され、選考委員に異論はなく、すみやかに決定いたしました。
(記録・文章:十三不塔、中野伶理)
「第四十五回日本SF大賞」選評
選評 池澤春菜
今年もまた多彩な作品が候補に名を連ね、その中に自著が選ばれたことを光栄に思います。公平を期すため、今年度の選考会には書面で参加させていただきました。
何がSFか、を話し始めると血で血を洗う抗争になりがちですが、今回の候補作はそんな論争を軽やかに吹き飛ばす、「SFの懐の深さ」を実感する選考となりました。
どの作品も素晴らしく、方向性も多種多様。とはいえ、最終的に大賞を選ばなくてはなりません。
以下に各作品の短評を述べさせていただきます。
『一億年のテレスコープ』——どこまでも遠くに連れて行ってくれる
SFの醍醐味がぎっしり詰まった作品でした。科学的リアリティの確かさ、壮大なスケール感、遊び心とSF的創造力に充ちたわくわくする異星文化や生態系。『オーラリメイカー』『法治の獣』で見せた作者の持ち味を存分に活かした、さらには一つ上の段階へと押し上げた傑作だと思います。異文化の交流というSFの王道テーマを、ここまで緻密に、かつ魅力的に表現した手腕に新鮮な驚きを覚えました。
一億年という広大な旅を終え、「この宇宙には、きっとまだわたしたちの知らない物語が広がっている」と思いながら本を閉じました。わたしがSFに求める「いま、ここ」ではないどこかに連れて行ってくれる、そんな作品に出会えて、一読者としてとても幸せです。
『宝石の国』——魂は宝石、未来は宇宙
SFが絵だとしたら、この作品はまさしく絵でしか描き得ない唯一無二の世界観だと思います。
漫画というジャンルだからこそ表現できる圧倒的なビジュアル、その緻密な構成力、哲学的なテーマの深さ、そして物語を最後まで引っ張る謎。
どう終わるのか、どこに着地するのか、希望と絶望の間の細い細い道を辿りながら、到達したラストは、まさに「SF的な驚き」。それを支えきった構成の巧みさにも感嘆しました。壮大な物語を描きながらも、個々のキャラクターがしっかりと生きているのも素晴らしい(髪型ってあんなにバリエーションあるんですね)。悲劇的な展開、残酷な描写が続いても、ユーモアがあってけして重くならないバランスの妙技。
漫画ならではの表現も特筆すべき点で、宝石たちの造形と儚さ、戦闘や遙か遠い遠い未来の世界を描線一本疎かにすることなく、圧倒的なペンの力で描ききっている。
SFとファンタジー、哲学と芸術が融合した、類い希な作品。漫画だからできること、漫画にしかできないことを追究し、最後まで走りきった作者に、心からエールを送りたいです。
『SF評論入門』——SFの地図と羅針盤
SFとは何か。その問いに真正面から向き合い、的確な解説と豊富な知識でSFを読み解く鍵をくれる一冊。
分析の切れ味が鋭く、それでいてわかりやすい。さまざまな評者の視点や論点が多様、かつ多角的にSFを俯瞰させてくれる。ただ、一冊の評論集として見た時に、扱う視点や議論のバランスに、もう少し広がりが欲しかったという印象もあります。
その点を踏まえ、さらには本賞の趣旨とはやや異なる位置づけになるのではないか、と判断しました。とはいえ、今後もSFを考える上で参照される作品であることは間違いないでしょう。
『銀河風帆走』——青春SFの爽快な疾走感
宇宙を舞台にしたジュブナイルSF。瑞々しい感性と冒険心に満ちた物語は、読んでいて心地よい躍動感がありました。キャラクターの魅力も際立ち、物語の完成度も高い。短編集でありながら、一本のテーマがしっかり通っていた点も素晴らしいポイント。
広大な宇宙の中で、異文化や未知の存在と出会い、関わり、思索する——そのテーマ性は、まさにSFの王道です。青春SFとしての爽快感や瑞々しい感性、科学に対する明るい信頼感には独自の魅力があり、『一億年のテレスコープ』とどちらを大賞に推すかは、非常に悩みました。
これはけして作品自体の評価が低いわけではなく、むしろ、こうした傑作が同時期に生まれたことが幸運であり、同時に選考の難しさでもありました。
『わたしは孤独な星のように』——静かに響くSFの余韻
選考委員としての公平性を保つため、本作の評価は差し控えますが……まあ、ひとつだけ。
この作品が候補に入ったこと、それ自体が、SFの多様性を示す証左だったと思います。SFは、派手なアクションや壮大な世界観、深遠な展望だけではなく、静かに人の心を照らし、思索を促すものでもある。その意味で、本作が候補に選ばれたことは、大きな喜びでした。
選考委員の皆様にコメントをいただけたことが、何よりの栄誉です!
選考会には参加せず、わたしのコメントを選考委員の皆様に委ねる形で進めていただきました。結果は大変納得のいくところで、単に優れているからだけではない、「今、この時代に読まれるべき作品」が間違いなく選ばれたと言えるでしょう。
今年の候補作を振り返り、日本SFの多様性と豊かさを改めて実感しました。挑戦的な作品もあれば、伝統的なSFの技法を磨き上げた作品もあり、その両者が共存することで生まれる「伝統と革新」の魅力が際立っていました。
来年はどんな作品と出会えるのでしょうか。
また、新たな驚きに出会い、嬉しい悩みに頭を抱える日が来ることを楽しみにしています。
選評 大森望
大賞には、日本SFの歴史にとって大きなメルクマールになるような作品を選びたい。そう思って初めての選考会に臨んだが、さいわいにも、候補作の中に、その条件にぴったりの作品があった。
圧倒的な画力。独創的な世界観。前代未聞の展開。市川春子『宝石の国』は、まさしく「漫画ならではのSF」「小説では描けないSF」が全十三冊にわたって絢爛豪華にくりひろげられる。
作中世界に生きる宝石たちの体にはインクルージョンと呼ばれる微小生物が宿り、体がバラバラになっても再結合できる。主人公のフォスの体は硬度が低いため、しばしば欠損し、補完され、そのために少しずつ人格が変わっていく。アイデンティティはどこに宿るのか。〈テセウスの船〉テーマを大胆に突き詰めた結果、フォスはついに頭まで交換される。他人のために身体の一部を失い続けるフォスは、まるで裏返しの「幸福の王子」のようだ。金剛先生が、もともと月人たちを解脱に導くべく人間によってつくられた機械だったという設定も奥が深い。月人の側から言えば、人類補完計画を発動すべき金剛の動作不良を修復すべく、月人が宝石の国に赴き、あの手この手でトライする話だとも言える。SF小説の文脈では、金剛は、神林長平『膚の下』に出てくるアートルーパー(人間が火星で冬眠している間、機械人による地球環境の復興を監督するためにつくられた人造人間)慧慈の後継にも見える。
仏教的世界観を共有する光瀬龍の古典SF『百億の昼と千億の夜』を思い出せば、月人は帝釈天率いる天上軍に重なり、それと戦いつづけるフォスは阿修羅王/あしゅらおうに重なる。『宝石の国』は、フォス(あしゅらおう)が五十六億七千万年後に救世主・弥勒となって帰ってくるまでの物語でもある。
……などと勝手な解釈を書いているとキリがない。いずれにしても、『宝石の国』は、光瀬龍『百億の昼と千億の夜』の流れを汲み、神林長平『膚の下』や『新世紀エヴァンゲリオン』をアップデートした歴史的な名作。21世紀を代表するSF作品として、日本SF大賞を贈れたことを喜びたい。
小説作品三作はそれぞれ長所と短所があり、選考委員の間で評価が分かれた。
宮西建礼『銀河風帆走』は、いまから12年前に第4回創元SF短編賞を受賞した表題作に、その後すこしずつ書いてきた4編を加えたデビュー作品集。受賞から単著刊行までにずいぶん時間がかかったが、受賞当時まだ大学生(1989年生まれ)だった著者の作家的な成長を感じさせる一冊。受賞当時、「弱冠23歳の著者が贈る、雄渾の遠未来ハードSF」と紹介された表題作は、当時は反時代的なほど古風な印象(銀河を渡る播種船!)だったが、いまや流行を先取りしていたようにも見える。
版元の粗筋紹介にいわく、〈地球と太陽系を喪い、星の世界への進出を余儀なくされた人類は、生き延びるためにあらゆる形態の人間を生み出した。ぼくらもそうして生まれた宇宙船だ。そして今ぼくら2隻は特命を帯び、銀河中心にある巨大ブラックホールに向かって1600年に及ぶ旅を続けている――〉
当時の大森は、〈イーガン『ディアスポラ』を思いきりクラシカルに語り直したような(むしろイングリス「夜のオデッセイ」や藤田雅矢「エンゼルフレンチ」を連想させる)宇宙探査SF。……この長さで遠未来の深宇宙を描き切る筆力と蛮勇は貴重〉と同賞の選評に書いている。
「星海に没す」は同型の恒星船2隻が深宇宙で相見えるスリリングな〝一騎打ち〟サスペンス。残る3編は、困難な状況のもと、少年少女が科学への信頼を基盤にベストをつくす物語で、メッセージ性が強め。
「もしもぼくらが生まれていたら」は、核兵器が存在しない世界線の2020年を背景に、間近に迫った小惑星の地球衝突による災厄を回避すべく、高校生たちが知恵を絞る。「されど星が流れる」は、部活を制限されたパンデミック中に系外流星を観測しようと天文部の先輩後輩コンビが奮闘する青春小説。「冬にあらがう」では、噴火による世界的な食料危機を前に、化学部コンビ(+AI)が合成食料開発に挑む。
高校生たちの努力に過剰な夢を託すのではなく、いまいる場所で最善を尽くせば、科学と人類にとって必ずプラスになるという強い信念と誠実さが貫かれている。現在の世界情勢や文化状況を鑑みても、若い作家がこういう信念をもってSFを書きつづけていることにエールを送りたい。本書のようなストレートなメッセージ性は、いまの日本SFには珍しい特徴でもあり、日本SF大賞の特別賞に推した。
池澤春菜『わたしは孤独な星のように』も、著者初の小説の単著となる作品集。「ゲンロン 大森望 SF創作講座」に課題として提出された5編(2022年初出)に、日本SF作家クラブ編のアンソロジー『2084年のSF』掲載作と『WIRED』日本版掲載作を加えた全7編を収録する。巻頭の「糸は赤い、糸は白い」は、きのこ由来の脳根菌との共生により人間の共感能力を高めるmycopathyが一般化した未来で、脳に入れるきのこ選びに悩む少女を描く瑞々しい(?)思春期小説。表題作は、「叔母が空から流れたのは、とても良い秋晴れの日だった」という書き出しから、叔母の願いを叶えるべくスペースコロニーの中を旅する叙情SF。読者の心の中にするっと入り込む導入のテクニック、情感をかきたてる語りと端正な文章がすばらしい。かと思えば、どんなダイエット法でも絶対痩せないことでバズったヒロインが脂肪との死闘を経て思いがけない地点にたどりつく「あるいは脂肪でいっぱいの宇宙」とその後日譚の声俑SF「宇宙の中心でIを叫んだワタシ」のようなバカSFも楽しい。初めて書いた小説群とは思えないほどハイレベルだし、これだけ質の高い作品をコンスタントに書きつづけていることは評価に値するが、7編合わせても200ページに満たず、キュートな小品集という読後感。同じ新人のデビュー作品集でも、10年余の歳月を費やしてまとめられた宮西健礼『銀河風帆走』の迫力には一歩及ばなかった。
春暮康一『一億年のテレスコープ』はド直球のファーストコンタクト系ハードSF。「遠くを見る」という意味を込めて命名したと父に聞いて以来、天体観測に魅せられた鮎沢望は、長じて電波天文学を専攻。彗星を使った太陽系規模のVLBI(超長基線電波干渉計)ネットワークという壮大な観測計画を立案。天文部時代からの親友の千塚新、大学で出会った矢代縁と3人で冗談半分に始めたサークルは、彼らの人格がアップロードされて事実上の不死を得たことで現実味を帯びてくる……。その先は、イーガン『ディアスポラ』(+「鰐乗り」「プランク・ダイヴ」)と劉慈欣『死神永生』に小松左京『虚無回廊』を合わせて煮詰めたような超高カロリー異星文明探査ものに飛躍。ユニークな異星生物が次々に登場する中盤は、宇宙SFの魅力が濃縮されているが、既視感があるのも事実。題名の意味が明らかになる終盤は大いに盛り上がるものの、ループが完成する結末を含め、一種の予定調和というか、箱庭的に心地よくまとまった感がある。
最後の一冊は、『SF評論入門』。個々の評論は面白い。とりわけ、まるで私小説を読んでいるかのような宮野由梨香の光瀬龍論「光瀬龍『百億の昼、千億の夜』の彼方へ」は、『宝石の国』のサブテキストとしても刺激的だった。しかし、「SF評論入門」と謳って今の読者に届けるには、扱う作品が古典に偏りすぎている気がした。今世紀の作品をメインに扱っている評論は、全12本のうち、海老原豊「生成AIは作者の夢を見るか? グレッグ・イーガン『ゼンデギ』の作者機能」、渡邊利道「エキセントリックな火星―倉田タカシ試論」、関竜司「藤本タツキ『チェンソーマン』とZ世代―再帰的モダニズムと〈器官なき身体〉の肖像」の3本だけ。世界SF状況の大きな変化に応じて、中国SFや韓国SFを論じた新作が入っていてもよかったのではないか。実際は、かつて日本SF評論賞受賞作として読んだことがある文章を改稿しアップデートしたものが多く、同賞の回顧アンソロジーのように見えてしまう。日本SF評論賞が実施されたのは2006年~2014年。〈いま「SFを語ること」の楽しさが、ここにある!〉という帯の謳い文句からはちょっとズレているような印象が拭えなかった。
選評 斜線堂有紀
今回の受賞作にはまず『宝石の国』を推した。本作は既に広く傑作であることが知れ渡っているが、それはどちらかといえば擬人化された宝石達が織りなすファンタジーとしての評価であるという印象を受けていた。しかし私は、本作は優れたファンタジーであるだけではなく、極めて王道のSF作品であり、そちらの面でも大いに評価されるべきという考えを持っていた。今はまだSFとしての評価が適切に為されていない本作を『SFである』と世間に知らしめる、いわば橋渡しのような存在に日本SF大賞がなることを期待したのである。今回の受賞によって、本作が奇想によって生命の真髄を描き出す優れたSFであることが広く知られることを願っている。
次点に推していたのは『一億年のテレスコープ』である。SFに期待する楽しさや面白さが詰まっている王道の一作であり、最後まで楽しく読むことが出来たからである。一方で、日本SF大賞作に期待される唯一無二の面白さがあったかについては疑問が残り、他の選考委員の意見を聞き、あまり強く受賞には推さなかった。
『銀河風帆走』は面白く読んだ。著者の価値観が色濃く反映された作品群だと思う。SF的なアイデアを用いて『人間』を描き出す手腕が上手い。また、このアイデアが短編に採用されたのは、コンパクトにまとめる為ではなく広げられる限界値がここだったのだろうと思う場面もあった。最終的には『一億年のテレスコープ』よりもこちらの方を受賞作に推した。
『わたしは孤独な星のように』は候補作の中で最も小説としての完成度は高かった。もっと高い評価を受けて欲しいと思う一冊だった。
『SF評論入門』はどうしても前回の『SFする思考:荒巻義雄評論集成』と比較してしまう部分があり、あの一冊に比べると全てにおいて物足りないように思えた。読み物としての面白さという面において『SFする思考:荒巻義雄評論集成』が遙かに上回っていることから、あの一冊に比べて「入門」に適しているのは長さだけのように思えてしまった。一方で、あまりSF評論で取り上げられない新鋭の作家や作品が取り上げられていることは評価に値すると思った。
選評 立原透耶
「一億年のテレスコープ」
SF好きなら誰でも好きになるだろうと思える小説だった。ワクワクして読んだ。さまざまな形態の、よく練られた宇宙生命体が登場し、古き良きスペースオペラを読んでいるかのような興奮と楽しみを覚えた。肉体ではなく精神が旅をするというのも良かった。今の時代は、ハードSF的な知識がしっかりした上で、ハラハラドキドキする作風が求められているのではないか。とはいえ、主人公たちの精神が永遠に若々しいことについては、意見が分かれるところかもしれない。(私は好きです)
「SF評論入門」
何をもって「評論」というのか。まずその点にこだわってしまい、非常に悩んでしまった。しかし他の審査員の「エッセイでも良い」、「むしろエッセイとして読んだ」という意見を聞き、自分がこだわりすぎなのだと悟った。個人的には大変興味深い論考も複数あったが、「最新」の評論であるという印象は薄く、古いものが中心で、若い読者にはとっかかりにくいのではないかと感じたのも事実である。とはいえ、SF評論集という、なかなか本にならないものをこうして一冊にまとめたのは素晴らしい。今後も続けてほしい。
「銀河風帆走」
どの作品も未来への明確なメッセージが込められており、非常に読み応えがあった。爽やかで清々しい作風は、本作の大きな長所であると思う。審査員の林氏が「高校生でも大人でも考えつくのは同じ結果というのが、現実的で良い」といった趣旨の発言をしていたが、なるほどと感じ入った次第。そこには堅実で確かな科学的思考が記されており、SFとしての深みを伝えている。
「宝石の国」
壮大な哲学的、かつ思弁的なSFで、また自我の問題も深く考えられており、圧倒的な迫力があった。仏教的な要素は、「百億の昼と千億の夜」を彷彿とさせた。最初、なぜ月からの攻撃が仏教的な形をとっているのかが謎であったが、その謎解きも見事だった。個人的には、永遠に流転する「石」の物語として読んだ。そういう意味で、主人公の自我が変化していく様は「魂」はどこにあるのか? という問いを投げかけているかのようにも感じた。審査員の絶大な支持による大賞である。
「わたしは孤独な星のように」
文章や表現がたいそう美しく、柔らかで繊細な描写が印象的だった。候補作の中では、一番、好みの文章だった。アイデアも身近なもの(脂肪とか! 菌類とか! 声優とか!)から生み出されており、SFは科学的な知識からだけではない、アイデアはどこにでもあるのだと感じさせられる一冊でもあった。作者の多才さが感じ取れる短編集だった。ということで、ぜひ次は長編を読みたい。
選評 林譲治
今回に限らないが、選考結果というものは終わってしまえば当たり前の、あるいは平凡な結論にしか見えない。しかしながら、その平凡な結論に至るまでには選考委員相互の数時間にわたる議論が必要になる。今回も選考委員の中で、一つの作品について多様な視点で評価が行われた。
・市川春子 『宝石の国』(講談社)
まず美しい物語であった。全13冊の本作品は1巻が2013年に発表され、10年以上の歳月を経て完結した。にもかかわらず、作品の世界観がブレることなく構築されていることにまず驚かされた。
たとえば月人や僧侶姿の先生についても、奇をてらっているわけではなく緻密な計算によるものであり、そのことが明かされるのは連載では数年ののちなのだ。
さらに特筆すべきは、当初は何もできなかった主人公が成長してゆくだけでなく、物語の途中から成長に止まらず主人公が物理的に変異してゆき、それに応じて意識も変容する様が描かれている点も作者の力量を感じさせた。
・宮西建礼 『銀河風帆走』(東京創元社)
本作は宮西氏による最初の短編集である。その中で私が特にインパクトを感じたのは「もしも僕らが生まれていたら」であった。隕石衝突という危機に始まってラストに至る構成の見事さは傑作の名に値しよう。
それだけでなく(これは他の作品でも見られるが)本短編における高校生の友人三人の関係性が意味する構造も秀逸である。
これは表層だけを見れば「子供が考える程度のことは大人はわかっている」とも読める。しかし、違うのだ。この高校生三人が表現してるのは「科学的事実と論理的思考を以てすれば、高校生でも大人(科学者)と同じ結論に到達する」ことを意味しているのである。
つまり人類相互理解のためのプロトコルとして、科学が描写されており、この一点だけでも非常に高いポテンシャルを持っていると言える。
・春暮康一 『一億年のテレスコープ』(早川書房)
正直、ある段階まで、本作が今年の日本SF大賞受賞作になるのではないかと思っていた。どうしてそう思ったのか、その理由については多くの説明はいらないだろう。王道のハードSFであり、科学的合理性を踏まえた上で、銀河系全域を扱う数千万年単位のスケール叙事詩ともいうべき作品はまさに圧巻である。特にラストの部分の伏線回収には唸らされた。
ただ、そうした優れた作品であることを前提として、『銀河風帆走』と比較した時、当初はほとんど気にならなかった部分が無視できなくなっていた。
一つは本作の主人公も高校・大学の仲良し三人組である点。ここは評価が難しいところで、主人公が終始持っている文明に対する疑問という、ある意味で業とも呼べる欲求の継続と不可分なのだが、それでも数千万年単位で仲良し三人の関係性がそのまま維持されていることは不自然に思える。
特に主人公らは幾多の異なる知性体と接触している事実があり、それでもなお人間の意識が変容しないのは、異星人が人間側に寄っている点と合わせて、人間が変わらないのは整合性が取れていないように見える。
これに関連して本作ではVLBI(超長基線干渉法)が作品の根幹となる重要な原理となり異星人とのコンタクトの目的に説得力を持たせており、ここは凡庸な作品とは明確に一線を画している。
だが、それだからこそ多数の文明と接触したどこかの段階でより新しい方法論を見出すのが自然な流れであるように思える。
ただ、上記の整合性については、はっきり言えば瑕疵に過ぎないものだろう。しかしながら日本SF大賞の選考という点では、客観的には瑕疵であっても結果を左右することも起こり得る。
・池澤春菜 『わたしは孤独な星のように』(早川書房)
池澤春菜氏の初の短編集である。一読して感じるのは、他の選考委員の方も指摘していたことだが、文章の美しさと繊細さである。
もう一つ池澤作品全般に共通するのは、コミュニケーションの重要性さらに言えば、相互理解の重要性であり、それは背景として多様性の肯定でもある。今年の日本SF大賞にノミネートされた漫画・小説の四作品は、こうした問題意識を共有しているような印象を受けているのだが、そうした問題提起が文章の中で自然に織り込まれている点で、エントリー作品の中でもトップクラスであると思う。
また個々の収録作品の多様性もさることながら、主人公の行動を通して、その人物が背負う社会の構造への視点の確かさも見逃すことはできない。
このことを典型的に示しているのは一見すると馬鹿SFの系譜に解釈されるだろう『あるいは脂肪でいっぱいの宇宙』だと思う。これはダイエットから始まってついに宇宙に至る話なのだが、実は読み飛ばせない構造が仕掛けられている。
それはどういうことかといえば主人公の関係者に「多少太っていても健康であるならいいじゃないですか」と、主人公を肯定する人物がいれば、この物語は起こらない。
主人公がダイエットのためにありとあらゆる施術に挑戦するが、そのどこにも主人公の現状を肯定する人間がおらず、「若い女性は痩せるべきだ」という社会通念をぶつけてくる。この点に気がつくと、ダイエットのために宇宙にまで飛んでゆく馬鹿SFであったはずのものが、女性(あるいは現代人全般)が強いられる社会通念の強さは、人を宇宙に追いやるほどの強さと暴力性を持っていることを指摘する作品という真のテーマが姿を表す。
以上のように、大賞受賞のポテンシャルは認められることは指摘しておきたい。
・荒巻義雄・巽孝之 『SF評論入門』(小鳥遊書房)
まず、私が選考委員として本書を読むにあたっての基本的な読み方としては、論理性を重視しつつ、
・客観的事実
・客観的事実から導かれる合理的結論
・著者の憶測
・著者の感情
の四点に分けて全体を判断するという手法をとった。知っている方もおられようが、これは報道機関の情報を分析する手法である。この程度の単純作業でも実際にやってみると多くのことが見えてくる。ここまでが前提である。
本書に関しては書かれた部分と書かれていない部分のそれぞれについて指摘すべき要素がある。
書かれている部分に関していうならば、論考の質のばらつきが大きいということがまず挙げられる。
序説は当然として、本書の白眉となるのは第四部、第五部であり(これは優れた評論ではなく、優れた研究ではないのか?というものもあったが)概ね優れた論考がなされていると言えるだろう。
他方、それ以外にも同等の水準にある論考も見られる一方で論として展開に疑問あるものも散見された。たとえるならば次のような構造である。
Aは<事例>についてBと述べているが、Bとは<著者の判断>であり、Aは<事例>について理解していない。
このような文の構造では、「Aの理解しているB」と「著者が理解しているB」がその文脈の中で同様の意味を持っているかどうかが重要になる。特にBがなんらかの幅広い概念を指す言葉である場合、Aと著者がBについて同じ意味と解釈していることを示さねば、例示した論考は成立しない。
ことに「Aは」などと特定の人物の名前を出すからには、こうした論の根幹部分についてはなおさら丁寧な検証が必要となるはずだが、残念ながらすべての論考がそうした点で十分な検証をしているとは言い難かった。
書かれていない部分とは、これも昨年発表された日本SF作家クラブ編の『SF作家はこう考える』において言及されているマイノリティや社会への言及が希薄な点である。ただこれらについて序説では言及されており、それだけにより詳細な論考がなかったことが惜しまれる。