第42回日本SF大賞 選考経過 選評

2022年6月6日公開

第42回日本SF大賞選考経過報告

第42回日本SF大賞の選考会は、草上仁、小谷真理、白井弓子、三雲岳斗、森岡浩之の全選考委員出席のもと、2022年2月19日にオンライン会議で行われました。
 運営委員会からは司会として池澤春菜会長、オブザーバーとして榎木洋子事務局長、技術係として藤井太洋、記録係として吉上亮、揚羽はなが出席いたしました。

今回の最終候補作は以下の六作品です。

  • 『大奥』全十九巻 よしながふみ(白泉社)
  • 『暗闇にレンズ』高山羽根子(東京創元社)
  • 『ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉』TVアニメ(東宝)
  • 『七十四秒の旋律と孤独』久永実木彦(東京創元社)
  • 『ポストコロナのSF』日本SF作家クラブ編(早川書房)
  • 『まぜるな危険』高野史緒(早川書房)

選考経緯

会長による開会の挨拶のあと、選考委員各人が大賞に推したい作品を挙げ、その理由を述べていきました。選考過程では、SF大賞は、この後からはこれ以前の世界が想像できない、という意味でずばり当て嵌まる作品を選びたい。作品のコアの部分にSFならではの面白さがどこまで反映されているのかを気にする。その年の一番面白いSF作品を評価すると考えると何年も掛けて書かれた大長篇はどう扱うべきか、などの選考委員からの意見も出されました。
 最初の投票で『七十四秒の旋律と孤独』が1票、『大奥』が3票、『ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉』が1票となりました。その他の候補作についても言及され、慎重に各作品の議論を行いました。その結果、『ポストコロナのSF』が落選し、次に『暗闇にレンズ』が落選しました。『まぜるな危険』は小説としてSFの神髄に触れているがまだ抑制が感じられる、『七十四秒の旋律と孤独』は整った美の作品だがSF大賞では破壊的な美を問いたい、などが考慮され、惜しくも落選となりました。『大奥』と『ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉』のどちらを大賞受賞作にするか、さらなる議論が行われました。

『大奥』全十九巻 よしながふみ(白泉社)

『大奥』については、ジェンダーSFとしてたっぷり堪能できた。本作は歴史改変SFであり、出産SFであり、パンデミックSFでもある。子産みが女性に課され、これが将軍家に重なり、歴史改変ものとして白眉。出産ディストピアとして、江戸時代(名目上の鎖国時代)という舞台設定にガチッと嵌まっている。一方でパンデミックの被害は男性に及び、特に若い男性が犠牲となり、両性に対する危機を前にして人類滅亡と戦うSFとなる。前近代的な技術で疫病に立ち向かう作品は意外となく、また歴史ものとしても面白く、後半で幕府を打倒する薩長が「マチズモ」として描かれ、江戸幕府の「女性」と対比され、現代の男女間を逆転させて適応させるのが面白い。『大奥』はすでに作品としての賞を国内で受賞しており、前半が英訳された際にはティプトリー賞も受賞している(1.2巻が対象)が、賞をとってからの後半もクオリティが非常に高い。男女逆転についてはSFとして目新しくはなかったが、物語を畳んでいくなかで女性の江戸という歴史が抹消され現実の歴史へと収束していく過程がSFならではの描き方だった。男女が逆転しているが人間の描き方として男は男、女は女ということを貫いている。平凡で優秀ではない将軍もきちんと取り上げてくれた点もよかった、などの意見が出されました。また、14年前からシリーズが始まった大長篇のため、かえって史実逆転の描写が繰り返しになり、時代劇のようにちょっと飽きてしまうところがある。最後の〆のところで少し弱く感じた、などの反対意見も出されました。

『暗闇にレンズ』高山羽根子(東京創元社)

『暗闇にレンズ』については、ファンタジーの書き方が本当に素敵である。アイデアもすごいが全部入れ過ぎている印象を受けた。もう少し焦点絞ってもよかったのではないか。二度三度の編集でより洗練させてよかったのではないか。著者はリアリティあるものより幻想的なものを書いたほうが面白いように思えた。初読時は、色んなエピソードが収束して、何らかのカタストロフがくるのかとエンタメ的な期待で読んでいたが、終盤の展開でこれは純文学的なのかもしれないと感じた。エンタメではないのだが、エンタメとして期待して読めてしまうことがもったいなかった。そういう意味でも過剰なのだと思う。本作がエンタメなのか純文学なのかカテゴリ分けがどちらとも判じにくいが、それも作者の企みなのではないか。論理的な部分と身体感覚が混然一体となって迫ってくる。ドキュメンタリーについて書いているところで「物語を作るのは書く方ではなく読む方なんだ」という記述があり、そういう意図で書かれたのだろうと感じた。読み方が分かってみると二周目ですごく好きな作品になった、などの意見が出されました。

『ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉』TVアニメ(東宝)

『ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉』については、ビジュアルがよく、相対性理論のビジュアライズや論理で的確についてくる。SF作家円城塔らしいロジックとエンターテインメントとしての面白さが高度に組み合わさり、最後まで面白く観ることができた。令和の作品らしいが、古くからの怪獣ファンにもすごくサービスしている。温故知新の作品。1クールで見事に纏められている。2021年の作品らしく中間管理職を含めた様々な分野での女性キャラクターの活躍が描かれている、ジェットジャガーを開発する社長が町工場のおっちゃんであるなど日本的な描写が随所で感じられた、などの意見が出されました。
 また本作の視聴を経て、映画『パシフィック・リム』(ギレルモ・デル・トロ監督)が思い出され、怪獣とロボットの戦い、AIの描き方に日米の違いを自覚できた。主人公ロボットが中小企業のメカとして出現し、どんどんAIとして賢くなっていくのは、日本のロボットものならではの表現。日本からハリウッドに向けたカウンターパンチとしても機能していると思う。円谷怪獣がどんどん出てきて最後にゴジラが登場する。来るぞ来るぞと期待を高めていく円谷作品の感覚が面白い。令和の時代にジェットジャガーが見られるとは思わなかった。嬉しい。ゴジラ自体にあまり詳しくなく、参考として過去の『ゴジラ』映画を観た。ジェットジャガーもそれで知ると本作での展開に唖然とするがほっこりする。本作を作る制作陣のモチベーションが何となくわかった。物凄い労力を傾けて設定が作り込まれている。未来を計算する機械のフィクション理論がSF的でよかった。破局についてはもう少し踏み込んで欲しかった、などの意見も出されました。

『七十四秒の旋律と孤独』久永実木彦(東京創元社)

『七十四秒の旋律と孤独』については、構成はオーソドックスだが、各短篇の響き合いがよく詩的でとても美しい。小説でしか書けないものを書いており、作家としてジェラシーを感じつつ本作を推した。ノスタルジーを感じる。マ・フという存在が健気でいとおしい。50年代英米SF的な洒脱さを感じる、などの意見が出されました。またマ・フに性別がない設定は、時代を意識した著者の誠実さを感じるが、一人称で「ぼく」が出ると何かの伏線のように思ってしまい、本作ではちょっと整合性が取れていないところが出ているように感じられた。必ずしも時代に合わせなくてもよいのではないか、などの意見が出されました。

『ポストコロナのSF』日本SF作家クラブ編(早川書房)

『ポストコロナのSF』については、企画そのものが優れており、ひとつひとつの作品もよく構成もよい。読んでいるうちにだんだんと時代も場所も遠くなっていき、最後の一節で泣いてしまった。本としての価値がすごくあるように感じた。収録されている作品を取り出せば他の大賞候補作と対峙できるクオリティのものが十分にあるが、本書を同じ土俵に上げにくいと思った。本作はコロナ禍のまさしく渦中に書かれたものであり、これ一作で完結していない印象を受けた。コロナ禍が本当に収束し新たな『ポストコロナのSF』が出たとき、この企画は完成するのではないか、などの意見が出されました。特別賞での受賞を推す選考委員もいましたが、日本SF大賞はSF作家クラブが外部に向けるメッセージであり、日本SF作家クラブ編の本書もまたすでに外部へ向けたメッセージになっている。自分のところで出したものに賞を与えると、どちらも同じメッセージなので、外に向けてくどく見えてしまうのではないか。候補になることは問題ないが賞を与えるとなると違うのではないか、といった反対意見も出されました。

『まぜるな危険』高野史緒(早川書房)

『まぜるな危険』については、候補作の小説のなかでは一番SF濃度が高いと思った。SFは全然関係のないものを強引にくっつけることができる。そういうSF的な無鉄砲さがある本作はSFの神髄に触れていると思う。元となる作品の行間をSF考察でガッチリ固めていく。そこがなるほどと思った。元の作品が分からなくても、著者の解説が落語の枕のようになり面白味が増した。本作を読むことで多くのSF作品を思い出しほろっとした。SFの実験性、有害性みたいなものがよく出ている。真面目な人が怒りそうで面白かった、などの意見が出されました。その一方で、何をまぜているのかがちょっとわかりにくかった。どこまでが原典であり、どこからが著者のアレンジなのか、元の作品を読めていないとその区別がちょっと見分けにくいという反対意見や、逆にまぜ方がまだちょっと足りないように感じられ、もっと過激にいけたのではないか。著者の上品さを捨てきれなかったのかもしれない。いい意味で、めちゃくちゃ書き方が乱暴であり、それなら解説はなしで最後まで乱暴であってもよかったかもしれない、といった意見も出されました。

最終投票

今回の作品はどれも内容に優れており、どの候補作も、受賞に値する作品であることは五人の選考委員が同意するところでありました。受賞作を選ぶなかで減点方式ではなく作品のよいところを挙げて議論を積み上げていきたいという会長の提案のもと、各候補作についての議論が深められました。その結果、前述の通り、『ポストコロナのSF』と『暗闇にレンズ』、『七十四秒の旋律と孤独』、『まぜるな危険』が惜しくも受賞には至らず、『大奥』と『ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉』のどちらを大賞にするかで、最後の議論が行われました。二作品の評価について、両作品ともに推すところが非常に多く甲乙つけがたい。どちらも見事な結末を迎えているが続編の可能性はあるのか、といった点も考慮され、最終的に多数決ではなく話を尽くして作品のよいところを積み上げていった結論として、大賞は、よしながふみ『大奥』が受賞することが、選考委員による全会一致で決まりました。
 特別賞および功績賞は、本年は該当なし。なお功績賞については会長より、賞の性質や意義を踏まえ、今後どのように運用していくのかについて、別途有識者会議を開いて議論を重ねていきたい旨が提案され、選考委員から特別賞および功績賞が設立されるに至った経緯について言及され、来年への課題とすることが選考委員の全会一致で了承されました。

(記録・文章:吉上亮、揚羽はな)

第42回日本SF大賞 選評

選評草上仁

『大奥』よしながふみ(白泉社)

選考会冒頭から票を集め、文句なしという形で決まった。
 大げさな言い方になるが、人類にとって、『子をなす』ということの意味あるいは矛盾を正面から取り上げた大作。子をなすことは未来を設計することであると同時に、自分をも含む現在を滅ぼす種を播くことでもある。
 そして、この矛盾は重層構造を持つ。個人の血統と家族内での生存競争というレベルから、徳川家という『家』、日本国という『国家』、国際政治のメカニズム、宿命的に性を持つ人類という種や、さらには生物界まで。この設定が素晴らしい。
 徳川家が国家安寧を標榜しながらお家の存続を第一義に考えたことで弱体化していったように、また日本国が手段として選んだ鎖国が、結果的に薩摩藩の力を強め、明治維新への布石となってしまったように、存続や安定を求めることは必然的に破壊を招いてしまう。
 本作で主人公のひとつに設定されているウィルスもまた、自らの遺伝子を残すために、時に宿主の繁殖環境を破壊して、生存の幅を狭めることがある。
とは言え、物語は人を描くものであって、概念を語るものではない。本作では、それぞれ語るに値する個人の生涯を通じて家族、家、国家、種の葛藤が巧みに描かれ、読者を陶酔させてくれる。
 ストーリーテリングの冴えによって上質なエンターテインメントであることを保ちながら、生存の重層構造を余すところなく描き切った点で、本作品は見事なSFであり、大賞の名に値すると思う。
 個人的に気に入ったエピソードや描写をあげつらうこともできるけれど、もはやその意味はあまりなかろう。読者それぞれが存分に楽しめばよいのだ。

『暗闇にレンズ』高山羽根子(東京創元社)

手ごたえのある小説を読んだという読後感と感動があった。企みに満ちているような、天衣無縫であるような、論理的で無機的であるような、身体感覚に富んでいるような、ある種矛盾した印象を受ける。
 ごつい小説だというのが正直な感想だ。極めてセンセーショナルであると思う。
 同時に、これは評者の読解力の不足によるものかと思うが、読み進んでいて、何か読み落としているような、読み違えているようなもどかしさと不安も常につきまとった。
 読者に安心感を与えないからエンターテインメント性が不足しているとは言わない。ただ、気に入った登場人物やエピソード、映像の兵器的破壊力について、もっと書き込んで欲しいと感じてしまった。

『ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉』TVアニメ

映像がすごい。細密な日常、リアルな自衛隊の描写と怪獣がぴたりとマッチしている。音楽も素晴らしい。設定も面白い。論理とビジュアルのバランスが絶妙。
 一方で、設定や解法も全て、ガジェットの一部のように感じられる。それはそれでよいのだが、論理のアクロバットという意味でやや肩透かしを喰らう感じはあった。情報伝達性の回避など、相対性理論をきちんと使うにはこうするしかないというのはわかるのだが、ここまでビジュアルがすごいと、もう一段期待してしまう。『破局』についてもっと知りたいと思ってしまう。
 日本の現状も踏まえ、IOTを使い尽くした時間(多元宇宙)テーマSFとして最高評価。迷った。
 迷った挙句、続編が観たいと思ってしまった。

『七十四秒の旋律と孤独』久永実木彦(東京創元社)

実は、個人的には最も楽しめたし、大賞に推した作品だった。
 詩情と驚きに満ちた物語は美しく、独立したエピソードが緊密に呼応する構成も、計算された省略も見事で酔わされる。視覚的である同時に小説である必然性も備えている。
 同業者としての嫉妬すら感じつつ強く推した。この時代だからこそ活字を応援したいという気持ちも正直なところあった。
 たぶん、本作は今後も何度も読み返して楽しむことになるだろう。影響を受けてしまうのが少し怖いけれど。
 作者にはご迷惑かと思うが、勝手にライバル視させて頂くつもりです。

『まぜるな危険』高野史緒(早川書房)

タイトル通り危険である。乱暴である。
 イメージの奔放さに痺れるが、一方で、もっと読みたい部分をはしょられ、肩透かしを食らったような読後感を、どの短編にも覚えた。それが企みと言ってしまえばそれまでだが、作者には書きたいけれど自制している部分が多くあるように感じてもどかしい。
 ピント外れの誤解かも知れないけれど、無責任な言い方になってしまうけど、この先もっと羽目を外してくれると嬉しい。

『ポストコロナのSF』日本SF作家クラブ編(早川書房)

単なるショーケースに留まらない力を持っている。素晴らしい作品が並んでいる。
 しかし、大賞には推せなかった。
 現実に端を発しているからではない。SFの多くがそうだ。与えられた企画だから、でもない。企画が単に与えられたものではないことぐらい読めばわかる。評価の場で、SF作家クラブのマッチポンプなどと言い出す必要もない。でも…。
 ポストコロナだからこそ、集合ではなく、個々の作家それぞれを評価したいと思ってしまった。どの短編も、同じ土俵で勝負する力を持っているのだから。

選評小谷真理

圧倒的に『大奥』だった。
 こっちの歴史が本当だったんじゃないの? という気にさせられるほど、よくリサーチし、パンデミックという稀代の危機管理問題への取り組みを描き込んでいる。
 全くの偶然ながら、コロナ禍という時代にもマッチしていた。全十九巻のうち第一巻が出たばかりの二〇〇五年に我が国のセンス・オブ・ジェンダー賞を、前哨戦とも言える第五巻までが出た二〇一〇年の段階でティプトリー賞を受賞しているものの、当時は未完でその真価は未知数だった。だが最後までテンションは
落ちなかった。
 出産も仕事も引き受ける女、可愛く生きることを学ぶ男、といった性差問題は無論のこと、通常は題材になりにくい、凡庸な将軍も緻密に設定され、却って好奇心を掻き立てられた。
 女将軍らの歴史が隠蔽される顛末も、明治(薩長)政府をマチズモの点から吟味していて説得力がある。
 男の花道である切腹で死ねなかった瀧山や、歴史の真実を知らされる津田梅子の姿など、最後までSFならではの思弁性に徹した、素晴らしい作品と思う。

高野史緒『まぜるな危険』はSFならではのお茶目な毒舌が爽快なメタ古典。一番生き生きとしていたのは本人の解説かも。

『ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉』は徹頭徹尾、円城塔テイストが楽しく、最後のAIによる解題が、これぞ円城節という感じで、泣かせる。

高山羽根子『暗闇にレンズ』は、映像兵器や婦人会の漬物など、ファンタスティックなエピソードが抜きん出て印象的。知的なスリップストリームと思う。

久永実木彦『七十四秒の旋律と孤独』は、AI視点に徹した仕掛けがすばらしく、五十年代SFふうのちょっといい話で、なつかしい感じがした。

日本SF作家クラブ編『ポストコロナのSF』はチームワークの良さがわかる頼もしい企画だった。

どの作品も読み応えはあったが、より強烈なインパクトということで『大奥』を推した次第である。

選評白井弓子

『ポストコロナのSF』

第一人者、新鋭、それぞれの品質が高く個性がありおもしろいのはもちろんだが構成が巧みだった。日常に近いところから始めて、現実と夢幻がまざりあい、距離は遠くなり、人類は滅びかつ復活のめどもなくなるに至ったところで、北野勇作氏の日常を異化した100文字集でしめる。その最後の100字がまさにコロナ禍での私たちの心情の動く素朴な「はじまり」だったので虚を突かれた。こんなはずじゃなかったのになあ……不覚にも涙がこぼれた。そんなわけで現実と強くリンクしたこの本にはつい感情的になってしまうが、確かに良い企画だがむしろ一つ一つの優れた作品にそれぞれ正当な評価を与えてしかるべきだ、等々の冷静な意見に納得した。

『ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉』

様々な要素がぎっしりと惜しみなくつぎこまれた贅沢なアニメだった。贅沢すぎて、素晴らしいビジュアルとセリフ、テキストに詰め込まれた情報を同時に味わうのは難しい場面が多かった。そういう理由で何度も見るうちに次第に理解が進むことは楽しかったが、「破局」と「怪獣」が私の中では最後まで感覚レベルでうまく結びついてくれなかった。過去のゴジラシリーズをリスペクトした上で、今までに無い新しい側面を付け加えた作品だということは間違いない。

『七十四秒の旋律と孤独』

映像的な美しさでは一番だと感じた。惑星Hにおける自然の青と※※の赤(ネタバレ回避)、中間の紫。意味の込められた色彩の対比。この世界で自然と調和して生きて行くということが脳内に広がる色合いから飲み込めていく。人が物語を必要とすることも丁寧に描かれている。暴力や裏切りがありつつも細やかなやさしさが感じられる、せつなくもあたたかいSFだった。

『まぜるな危険』

創作の根源は意外なモノを「まぜる」ことだ。SFにおいては特に。その中でもロシア文学を自由自在にまぜることができる方は高野さんをおいて他にないと思われる。それぞれスリルとユーモアと哀愁があり、楽しめる作品が多かった。「プシホロギーチェスト・テスト」は特に好きな作品だ。とはいえまぜられる作品は多岐にわたりハードルが高い。それを見越して、作品をよく知らなくても楽しめるよう解説がつく親切な作りになっている。なっているのだけれども、自分にはまぜる意味を理解するのが難しい話もあり不見識を申し訳なく思う。

『暗闇にレンズ』

他の選考委員の方々も言っておられたが、歴史として出てくる映像兵器があまりにも「魅力的」なのでそれについてもっと知りたくなるし、謎が明らかになり光と絶望に満ちた事象が起き……という展開をつい望んでしまった。そうではない、とわかったのは冒頭シーンがもう1度出てきて、本当の「武器」は何かというメッセージを受け取ったときだった。死角に入れるほど小さくて、それゆえに舐められ侮られる者だけが持てる武器。作中に出てくるドキュメンタリーの撮り方と同様、物語をみつけるのは作者では無く私たち、ということなのだと理解した。

『大奥』

正直に言うと読み始めに苦労した。疫病で男性の人口が3割で落ち着いた時にどうなるか考えたとき、より悲観的に考えてしまうタチだからだ。ただ読み進めていけば、史実にある要素でかえって疑問がおさまるところにおさまってゆく。医療の整わない江戸時代を舞台にしたうえで歴史改編し女に最高権力をもたせたことで、かえって女の体を持って生きることの意味がぞっとするほどむき出しになるのはSF的醍醐味だ。
 後半の偽史が徐々に現実と入れ替わっていくことで逆に本当にそうだったのではないかと感じてしまうマジック……そして希望とワンダーのある見事なラストシーンには驚きとすごみがあった。年の長きにわたって連載された作品ではあるけれど、「このあとからは、これがなかった以前の世界が想像できないような作品」「SFの歴史に新たな側面を付け加えた作品」の基準に立ち返ればこの完結をもって本作を今年の大賞に推すのが妥当だと感じた。

6つの候補作はいずれもそれぞれ優れた作品で、本来比べるべくもない個性が別方向に際立つものばかりだった。いずれも誰かにとっての一番であるし、一般の皆さんによるエントリー一覧も見ていただきたい
 3年にわたって選考委員を務めた。大変だったが、これからも次々と面白いSF作品が出てくることを確信する3年でもあった。ぜひマンガ、小説、ゲーム、色々な形で出てくるSFを見逃さず末永く楽しんでいただけたらうれしい。

選評三雲岳斗

今回の候補作は作品の内容、形式ともにバラエティに富んでいたが、結果的に選考委員の間では『大奥』の評価が頭ひとつ抜けていたように思う。

大賞受賞作となった『大奥』は、男女の役割が逆転した社会を描くジェンダーSFであり、「赤面疱瘡」という疫病との戦いを描くパンデミックSFであり、あり得たかもしれないもうひとつの江戸時代を描いた歴史改変SFでもある。そして同時に優れた人間ドラマでもある。
 しかもそれらすべての要素が有機的に絡み合い、どれかひとつが欠けても成立しない、緻密で重層的な作品構造が成立している。
 特に圧巻といえるのがシリーズの後半、疫病が克服され、社会が新たな変容を迎えてからの展開である。逆転していた男女の役割に揺り戻しが訪れ、大奥にも終焉が訪れる。長きにわたって紡がれてきた架空の歴史が、我々の知る正史に向かってぴったりと収束していく過程は、良質なミステリーの謎解きにも似た、
歴史改変SFならではの知的興奮を与えてくれる。
 一方で歴代の将軍や、大奥の男たちをはじめとした登場人物たちの描写も本当に素晴らしい。
 個性豊かで人間臭い彼らの懸命な生き様が、大奥という舞台にふさわしい、絢爛で儚く、愛おしくも哀しい、壮大な物語を描き出している。
作だけに、手に取るのを躊躇している読者もいるかもしれませんが、今回の受賞を機に、少しでも多くの方々が、この作品に触れてくれることを願っています。文句なしの大傑作です。

『ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉』は、できればこちらも大賞に推したいと、最後まで迷った作品だった。他の選考委員からの評価も非常に高かった。
 SF的な知的好奇心をくすぐる謎が作品の根幹を成しており、それでいてエンターテインメントとしても高い完成度を誇っている。過去のゴジラ作品に対するリスペクトも随所に感じられる。アニメとしての映像や音楽も素晴らしい。
 また本作もパンデミック的な要素を持ち、キャラクターのジェンダーロールも現代風にアップデートされている。まさしく令和のゴジラ作品として賞賛に値する出来映えだと思う。
 個人的に、昨年もっとも楽しませてもらった作品でした。

残る四作はすべて小説作品だが、個人的に特に惹かれたのは『まぜるな危険』だった。
 短篇集だが、収録されている六作品はいずれも非常に完成度が高い。また、SFとしての濃度も高いと感じた。ロシア文学や日本の古典などを本歌とし、SF的なアイデアを大胆に取りこんだ作品群は、幅広い層の読者を必ず楽しませてくれるはず。
 今回の選考にあたって、出典の明記されている参考文献にはなるべく目を通したつもりだが、私の教養不足で気づかなかったネタなども多々あったと思う。それでも気にならないくらい楽しめたし、SFの可能性を広げたという意味でも高く評価したい。

『暗闇にレンズ』は、小説ならではの魅力に満ちた長篇作品。十九世紀末から近未来に至る架空の歴史の流れを、映像という切り口を通して、各世代の女性の視点から描いていく。
 決して派手な設定ではないが、とにかく文章の精度が高く、ぐいぐいと作品に引きこまれた。
 SF的な濃度という点で他の候補作に一歩譲るが、扱っているテーマは極めて現代的であり、登場人物の魅力的な生き様と、歴史の流れをフラットに見つめる作者の視線が強く印象に残る。

『七十四秒の旋律と孤独』は、人工知性マ・フをテーマにした連作短篇集。詩的で、どこか懐かしい印象を受ける端整な作品である。
 細部こそ現代風に洗練されているものの、七十年代ごろの優れたSFを読んでいるような郷愁を感じさせる点が本作の最大の魅力であり、同時に大賞に推すのをためらわせる要因となった。
 しかしその時代の作品を経験してきた読者には確実に刺さるだろうし、逆に今の若い読者に対して、普遍的なSFの魅力を伝える作品になってくれるのではないかと期待している。

『ポストコロナのSF』は、コロナ禍のあとの世界をテーマにしたアンソロジー。時期的に難しいテーマではあるが、収録作品はいずれも期待以上の良作だと感じた。
 ただ、やはりSF作家クラブ編纂のアンソロジーに同クラブ主催の賞を贈ることはお手盛り感があり、個人的に賛成できなかった。また、現実世界における新型コロナの被害が連日報道される中、本作を素直に楽しめないと感じる部分があったのも事実だ。
 近い将来、本当にコロナ禍が収束し、そのときにあらためて本作の続編としての『真・ポストコロナのSF』が出版される日が来ることを祈っている。

最後に私事ですが、若干の場違い感は自覚しつつ、手違いで異世界に召喚された一般人のような気分で選考委員を三年間務めさせてもらいました。
 選考に関わった受賞作の多くが、長期シリーズ作品に偏ってしまったことが心残りではあるのですが、候補に残った作品はどれも素晴らしい作品ばかりで、選考委員の皆様の本音の感想を聞くのも得難い貴重な経験でした。
 この場を借りて、お礼申し上げます。ありがとうございました。

選評森岡浩之

今年の候補作はバラエティに富んでいる。内容はもちろんだが、作品形式も多様なのだ。
 マンガとアニメが一作品ずつ。小説は四作品だが、長篇、短篇集、連作短篇集、アンソロジーと見事にばらけた。

そのなかで推したのは、マンガである『大奥』だった。
 本作は、「もし男性比率が著しく下がったら」という比較的ポピュラーな仮定を、江戸開府直後という絶妙の時代に挿入して紡がれたSFである。
 連載開始当初から評判が高く、数多くの賞を受け、映像化もされている。なので、「今さら」とお感じになる向きも多いかもしれない。しかし、これらの評価は、この作品の前半に与えられたものだ。全体を通して読んだとき、『大奥』はさらに輝く。
 前半は、男性人口の減少によって、社会にもたらされる変化を見事な人間ドラマで描く。この部分だけでも確かに傑作であり、高評価も頷ける。だが、限られた技術で疫病が克服され、様々な軋轢とともに、再び変容していく社会を語る後半は、さらに面白く読んだ。
 ジェンダーロールが逆転しても、男は男であり、女は女であった。そこがリアルで、物語に深みを持たせていた。
 唯一、不満だったのが、女性による統治という「史実」が、隠蔽される流れになっていったことだったが、大奥の最期から船上のラスト・シーンまで読み進んで、納得した。同時に、不満はむしろ称賛へ変わった。
 まことに堂々たるSFである。

アニメ作品は『ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉』。
 「怪獣」という存在にSF的リアリティを持たせようとする試みは何度も行われてきた。本作はそのなかでも出色のできだと思う。
 ストーリーも絵も素晴らしい。今回は完結してから一気に観たのだが、それでよかったと思う。毎週ごとの視聴だと、次が待ち遠しくてたまらなかったに違いない。まさか、令和にジェットジャガーの活躍が見られるとは。
 しかし、積み残した謎が多いように思え、推すのを躊躇した。
 ラスト・シーンの匂わせが、B級風味を醸し出すための演出ではなく、予告であるのを期待している。

今回唯一の長篇小説となった『暗闇にレンズ』は、映像技術が歴史を変えていく様を四世代の女性たちの視点を通じて、流麗な文体で描く。
 これまでも映像の世界には偽物が溢れていたが、技術の進歩とともにフェイク動画はますます本物らしく、巧妙になっていくだろう。選評を書いている時点で戦争が始まった。すでにフェイクは無数に流れている。しかし、フェイクと決めつけられたものの中に本物がないとは限らない。いや、あるに違いないのだ。
 そういった時代への心の持ちようを本作は示してくれる。
 しかし、大賞には推しきれなかった。

『まぜるな危険』は最後まで大賞に推すかどうか迷った。
 短篇集とはいえ、本書に収められた作品群には奇妙な統一感がある。ロシア文化となにかを混ぜてできたSFで揃えられているからだ。作者の言によると、意図してのことではなく、結果としてそうなっただけなのだということで、驚く。
 とはいえ、内容はバラエティに富んでいる。傑作揃いであり、大賞に相応しいと思った。
 もし、『大奥』がなければ、文句なしに推しただろう。
 受賞作と比べて劣るとはいまでも思わない。そもそも比較するのが無茶なのである。
 苦悩の末、次点として挙げるに留めた。

「SFの黄金期は十二歳」とはだれの言葉だろうか。野暮を承知で解説すれば、初心者の頃に読んだSFがその人にとっていちばん面白い、ぐらいの意味である。
 連作短篇集『七十四秒の旋律と孤独』を読んで、そのフレーズを久しぶりに思い出した。自分が十代の頃、夢中になってSFを読み耽っていた頃の気持ちが甦った。
 この端正な作品がいまの若い読者にとって「黄金期のSF」になりうることを確信している。しかしながら、他の候補作より高く評価することはできなかった。

『ポストコロナのSF』は良質のアンソロジー。あいにく、この文を書いている時点ではまだ「ポストコロナ」と呼べる状況にないが、時宜も得ているのではないだろうか。
 しかし、編者が日本SF作家クラブになっていることが気になった。本作には、日本SF作家クラブからのメッセージという側面もあるように感じられるのだ。
 そして、日本SF大賞は、もちろん第一義的には優れたSFに敬意を(そして感謝も)表すためのものだが、同時に主催である日本SF作家クラブからのメッセージという側面も持つと考える。少なくとも評者はそのつもりで選考を行ってきた。
 したがって、本作に贈賞するのは、屋上屋を架すように思え、抵抗を覚える。
 異論もあるだろうが、ここは我意を通させていただいた。

さて、今回で無事、選考委員の任期を終えることができた。
 たいへん楽しい体験だったが、他人様の作品を評価するのにまるで慣れていないので、いささか怖くもあった。読み違いをしているのではないか、という疑問が常について回ったし、たぶん、ほんとうにしている。
 至らぬ選考委員と自覚しているが、この三年間に選出に関わった受賞作品は自信を持ってお勧めできる。
 ありがとうございました。