第39回日本SF大賞エントリー一覧

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名倉編『異セカイ系』マリ本D
小説投稿サイトにて『臥竜転生』を連載している「おれ」は、作品がサイトのトップ10にランクインしたことで自らの書いた小説世界に入れるようになってしまい――といった序盤のあらすじはわりとどうでもよくて、物語を真剣に語るとはどういうことなのかを主題とするために異世界転生とメタフィクションを接続し、新本格ミステリの「読者への挑戦状」を換骨奪胎して「作者への挑戦状」を突き付ける。軽快な関西弁は語り部とともに右往左往し、ワイドスクリーン・バロックと化した話は最終的に愛の物語として決着する。ゲンロンSF創作講座から巣立ちメフィスト賞にて華開いた作者のデビュー作はまさに破天荒の一言。世に問う最初の単著にてここまでの蛮勇を振るったことへの敬意を表して(あるいは、愛しあう彼らへの祝福を込めて)、私は本書を日本SF大賞へと推薦する。
上田誠『サマータイムマシン・ブルース』継堀雪見
劇団「ヨーロッパ企画」が生み出したSFコメディ劇『サマータイム・ブルース』が、改めて戯曲の単行本として世に出ることの意義は大きい。ある意味スタンダードとなった作品だが、巻末の上田誠インタビューから立ち上がってくるSFと演劇にかける熱量も素晴らしいし、資料性も高い。
瀬尾つかさ『ウェイプスウィード ヨルの惑星』マリ本D
海面上昇によって地球の大部分が水没し、人類の多くは地球を脱して太陽系圏内にコロニーを形成、残された地球はミドリムシの変異体エルグレナによって生態環境が支配されている25世紀。地球へ調査にやってきたコロニーの研究者ケンガセンと残された陸地の村で巫女を務める少女ヨルが冒険を繰り広げる海洋SF。エルグレナやそれと菌類が融合して生まれる巨大な構成物ウェイプスウィードによって大きく姿を変えた地球の生態環境はどこか違う星を見ているようでワクワクさせられるし、海中や樹海での冒険などエンタメ要素もてんこ盛りである。しかしそうであると同時に、帯の謳い文句にて「『ソラリス』の系譜に連なる」とあるようにこれは異質な知性との出会いを描くファースト・コンタクトものでもあるのだ。異質な相手と対面してどのように前へ進むべきか、それを王道エンタメSFとして書ききった胆力まで含めて賞に相応しい作品であると言えよう。
水上悟志「虚無をゆく」榎木洋子
短編集「放浪世界」に収録の「虚無をゆく」は、文字通り読者の想像を越える展開に次ぐ展開をもつ漫画作品だ。外へ外へと広がるアイディアを惜しげもなくつぎ込んで作られた作者渾身の一作である。見慣れた団地のシーンから始まり、少年がほんのり憧れを抱く近所のおねいちゃんがあらわれ、食卓を囲む。だがその夜、漆黒の夜空を覆い尽くすような巨大な怪魚が登場し、読み手は驚くのだが、その驚きを味わう間もなく、それを倒す巨大ロボットの手があらわれる。なんと団地はそのロボの頭部にあったのだ。しかし秘密はこれだけではない、主人公の出自に関して、さらに三段四段のSF的仕掛けが待ち受ける。宇宙人や人型ロボットや地球人の敵も用意される世界だ。これほどの展開が用意された作品は昨今珍しい。さらにこの作品が読み切り中編だということも驚きだ。この作品はまさにワンダーを与えてくれる。SF好きに広く読まれて欲しい。
高山羽根子『オブジェクタム』増田まもる
高山羽根子もジャンルSFの枠組みにおさまらない世界文学の書き手だと思います。やさしく丁寧に書き込まれた細部が折り重なっていくと、なつかしいようなこわいような、なんとも得体のしれないものがぬうっと立ち上がってくるのは、何度読んでもたまらないものがあります。
倉田タカシ『うなぎばか』増田まもる
倉田タカシもジャンルSFの枠におさまらない世界文学の系譜の作家だと思います。本書ではうなぎをモチーフにしながら、そこから自由に泳ぎだして軽妙洒脱な物語世界を展開していきます。この軽やかさこそ倉田タカシの真骨頂で、読めば読むほど味が深まっていきます。
TVアニメ『ウマ娘 プリティーダービー』浅木原忍
ターフを駆けるのは、競走馬の擬人化「ウマ娘」たち。7話の〝沈黙の日曜日〟など実際の競馬の出来事をしっかりと背景に置きつつも、競馬ファンならずとも熱くなれる展開で、史実の先にあるifの夢を視聴者に届けてくれる熱血スポ根アニメの傑作だ。SF要素は「ウマ娘」の存在ただ一点なのでSFとして評価する筋合いの作品ではないかもしれないが、『ガールズ&パンツァー劇場版』が星雲賞を受賞したとき「ガルパンはSFじゃないだろ」という声が多くあったように、SFファンではない層ほどSFの範囲を狭く取る傾向がある。こういう作品をSFとして積極的に認める大らかさこそ、SFの裾野を広げるはずだという思いから、日本SF大賞に推薦したい。
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うめざわしゅん『えれほん』継堀雪見
一見すると萌えキャラな表紙が目を引く『えれほん』は、ディストピアをテーマにした漫画短編集であり、〈自由〉を求める者たちに捧げられた想像力の武器だ。限界オタク的ルサンチマンと文革的独裁国家をカリカチュアライズし掛け合わせた数々のギミックに圧倒される、異形のアイドルSF「善き人のためのクシーノ」。知的財産権の保護が徹底し尽くされた世界における管理者と抵抗勢力の激しい論戦と闘争が、特異な発表形態により読者側にも波及していく「かいぞくたちのいるところ」。母体と繋がれた状態でしか生存できない奇病によって生じる逡巡が、鮮烈な決断と幕切れを導き出す「まだ人間」。藤子・F・不二雄タッチの精緻なパスティーシュ「Nowhere」も含め、詰め込まれるオマージュとパロディとアイディアの密度が尋常では無い。〈どこにもない世界〉から放たれた物語の弾丸は、まぎれもなく〈いま・ここ〉を撃ち抜くのだ。
高野史緒『翼竜館の宝石商人』増田まもる
物語は本書の表紙を描いたレンブラントの作品を思わせる暗闇のなかから浮かび上がり、闇の向こうでは1662年晩夏のアムステルダムの市街が雨の中にたたずんでいます。記憶を失った男は運命に導かれるように謎の事件に巻き込まれ、事態はつねに読者の予想を裏切りながらしだいに混沌の度を深めていきますが、その間も運河の水位はしだいに上昇して、アムステルダムは水没の危機に直面します。
しかし解決不能と思われたすべての謎は予想外の人物によってみごとに解き明かされ、無数にはりめぐらされた伏線はすべて回収されて、記憶を失った男の正体も明らかになります。つまり本書は、現代によみがえった胸躍る南洋奇譚だったのです。
石川宗生『半分世界』増田まもる
"本書におさめられた全4編は、どれも途方もない奇想から出発しながら、作品内論理が導くところにしたがってとんでもない結末にいたるわけですが、その語り口がじつに軽やかで美しい日本語でつづられるので、ううむと唸りながら納得するしかありません。日本のSFがこのような世界文学に通じる作品を生み出すようになったことを心からよろこびたいと思います。
"
J・G・バラード《J・G・バラード短編全集》増田まもる
J・G・バラードの作品ほど「このあとからは、これがなかった以前の世界が想像できないような作品」や「SFの歴史に新たな側面を付け加えた作品」はほかにないでしょう。彼が提唱したニューウェーヴは世界のSFを一変させ、さらにサイバーパンクをはじめとする新ジャンルまで生み出しました。そのバラードの全短編を発表順におさめたこの全集は、バラードの集大成であると同時に、日本を代表するSF翻訳家の訳業に出会うことのできるすばらしい全集だと思います。
TVアニメ『プラネット・ウィズ』仮面の男
 怖ろしい竜の夢。目覚めた主人公と同居する謎のメイド、奇妙な着ぐるみ。一見すると何の繋がりもない二つのシーンから始まる話が、宇宙規模で展開される愛と祝福に辿り着くのだと言われたら信じるだろうか。しかしこれは紛うことなき事実である。日常を脅かす謎の侵略者、侵略者を向かい撃つ能力者たちの秘密組織「グランドパラディン」、そして地球を守るはずの能力者たちを何故か憎悪し、攻撃する主人公。てんこもりの要素が絡み合い、その中で生まれる戦いと葛藤によって、物語の視点は一つの町から地球全体、最後には宇宙まで到達する。1クール12話の中にまとめられた極めて高い完成度を持つ物語もさることながら、その最後で到達した愛と祝福に満ちた視点こそが、この作品を他に代え難い名作としている。その唯一性と魅力をもって、わたしは本作をSF大賞に推薦する。
早瀬耕『プラネタリウムの外側』まるた
AIとの対話、死の瞬間の再現、夢を見ること。天球儀に閉じ込められた世界を神の視座で眺めながら、自らも存在と不在の淵で彷徨う人々の物語。
何重もの入れ子になっている箱庭の、不確かさしかない世界の中から、登場人物たちが境界を跨いでしまうその一瞬だけに、強烈な感情が呼び起こされる。
それは、物語への感動などという陳腐なものではなく、自分が「世界の境界に今触れた」と過去に感じた体験の、生々しい記憶だ。
その共感のために、一点だけ針の穴のような小さな通路が、この世界と自分との間に開け放たれた気持ちになるが、その向こう側は無である。
同じ時刻を何度も刻む、その地点に向かって読み進み、目の前でぱたりとページが閉じられて、訪れる無を体験する。一瞬間だけ。しかし、本を開くたび、何度でも。
この小説を読むとは、砕け散る世界の欠片、その冷たさがほんの一瞬、胸を掠めるという体験だ。
アンドリュー・デグラフ『空想映画地図』円高寺
新しいiPhoneの発売日やスターウォーズ封切り日の前夜に、アップルストアや映画館の前に徹夜して並ぶギークな人たちのための新しいバイブル、あるいはヤングアダルトな人たちのための映画ヒッチハイクガイドブック、的な...。
劇場アニメ『さよならの朝に約束の花をかざろう』タニグチリウイチ
別れは必ず訪れる。命の長さにかかわらず誰かは誰かと必ず別れる。それでも苦しまないのは今、そこにある愛を精一杯に感じているからだ。いつか来る別れすらも、今ある愛を最高のものにしてくれるスパイスなのだと思えば別れも寂しくない。悲しくない。そんなことを思わされる映画だった『さよならの朝に約束の花をかざろう』。永遠を生きる少女と、生まれ老いて死んでいく人間との間に生まれる時間のズレ。それを厭うなら出会わずにいて、愛さずにいた方が良かったか? そうではない。決してそうではないと物語のラストに描かれる別れの儀式が感じさせてくれる。別れがあるのは出会ったから。その出会いが何にも勝る喜びなのだ。そう教えられる映画だった。
北野勇作的(個々の作品ではなく、作家としての在り方を推薦します)らっぱ亭
北野勇作が現在の日本SFを代表する作家のひとりであることは異論ないだろう。大ベストセラーはなくとも新作が出るとSF界隈では好評を博し、唯一無二の存在感がある。しかし、紙本はすぐに絶版となり、雑誌掲載の短篇はいつまでたっても纏まらない。書きためた短篇にそもそも発表の場がない。つい最近まで、北野ファンはぎりぎりぎりとつらい状況に歯ぎしりをしていたのだ。ところが、今やどうだろう。電子出版でほとんどの既刊が手軽に読め、惑星と口笛ブックスのシングルカット「水から水まで」のように出版が難しかった連作短篇形式の作品や、短篇カップリングの〈北野勇作2本立て〉シリーズとして続々と新作が出る。さらにツイッター掌編連載という新しい表現形式がピタリとはまって年刊日本SF傑作選に抜粋され、『じわじわ気になる(ほぼ)百字の小説』としてステキな紙本化も実現した。時代はやっと北野勇作に追いついてきたのだ。
TVアニメ『プリンセス・プリンシパル』浅木原忍
昨年度も推薦したが今回も対象期間なので改めて(以下昨年の推薦文の流用ですみません)。スチームパンク×スパイアクション×学園百合アニメという三題噺に、各話の時系列をシャッフルする凝った構成を採用した、『ルパン三世』や『カウボーイビバップ』の系譜を受け継ぐ傑作エンターテインメント。ウェルズ由来の重力遮断物質・ケイバーライトや東西分断された大英帝国といったSF的フックを背景に、魅力的なキャラクター、重さと明るさの緩急に優れたストーリー、そして恐ろしく高品質なアクション作画によって、部活もの系の学園百合アニメの色を残しながら、痛快かつシリアスなスパイアクションとして成立させる神業的綱渡りを決める。続編となる劇場版の制作も決定したこの傑作が改めて日本SF大賞の俎上に載ることを願って今年も推薦したい。
つくみず『少女終末旅行』/TVアニメ『少女終末旅行』浅木原忍
廃墟と化した巨大高層都市を、ケッテンクラートに乗って旅する二人の少女。昨年の『けものフレンズ』と同様、少女たちが世界の残骸を辿って冒険するポストアポカリプスSF。終わってしまった世界に二人ぼっちのチトとユーリの旅には、けれど悲壮感はなく、失われたものへの静謐な寂寥感が全編を包む。「もっと絶望と仲良くなろうよ」――未来なんてどこにもない世界で、自分たちが世界の何も知らないことを受け入れながら、それなりに幸せに生きる二人の姿は、現代社会におけるユートピアのリアルなのかもしれない。全6巻で美しい結末を迎えた原作と、原作4巻までを素晴らしい品質でアニメ化したTVアニメ版、両方セットで今年度の日本SF大賞に相応しい傑作だ。
石川宗生『半分世界』
奇想天外なアイデア、独特な展開、周密な文体が魅力。「白黒ダービー小史」は現実の科学史、哲学史、芸術史を拡張飛躍、「バス停夜想曲」では人類史を思わせる歴史の消長を芸術作品にまで高めている。デビュー作とは思えない完成度で、円城塔氏が天才と評価したのも納得!
劇場アニメ『機動戦士ガンダム THE ORIGINE』板橋哲
主人公シャアの幼少時代から身分を変えてモビルスーツパイロットして成功するところまでを描く。宇宙植民者の社会が次第に憎悪に染まり、ついに人類初の本格宇宙戦争が勃発する。漫画版には70年代学生運動のオマージュが見受けられたが、映画版は現在進行する極右的偏向を意識しているようだ。権力者の判断が100億の人々を巨大な暴力に誘い、善良なものはただ翻弄される。映画版ORIGINEはSFであり政治劇であり、我々が生きるこの時代への異議申し立てでもあった。漫画版で物語の全容を知っているにも関わらず、緻密な場面構成とダイナミックな演出によって一層のスリルと緊張が生まれ、身震いしながら鑑賞した。
施川ユウキ『銀河の死なない子供たちへ』吉田隆一
作品世界の設定に由来するのかも知れませんが、SF古典作品のような大らかな空気感が感じられます。そしてとてもとても繊細な物語です。SFでしか設定できない極端な状況だからこそ、複雑で痛み伴う様々な感情の流れが作中人物の行動に現れるのでしょう。それが読者の共感を呼びます。この大きく繊細なSFマンガは、これから永きにわたり不変の感動を与え続けるであろう傑作です。
草野原々『最後にして最初のアイドル』吉田隆一
ワイドスクリーン・バロックという概念の、あらたなる時代の幕開け。日本SFの現在を海外に発信するにあたり、フックとなるであろう要素に満ち溢れています。歴史的SFに対する著者のリスペクトが、乱調とも呼べる奇想の昇華をうながし、読者は「SFとしての感動」を覚えることでしょう。
樋口恭介『構造素子』吉田隆一
「物語を物語る」物語を書くということはSFという表現手法を選らばなくとも可能ですが、本作は「SF的な状況設定を施してSF新人賞に応募する」という行為すらメタ構造ではないか?とも思えるSFです。文章は非常に音楽的で、果てしなく読み続けることが可能とも思えてきます。それもまたメタ構造とも言えましょう。非凡な挑戦的作品で、今後を期待させる点が推薦理由です。
妹尾ありか『心造少女』多々唯 只徒
これは同人小説。ネットゲーム『艦隊これくしょん ー鑑これー』の二次創作である。
 人類の天敵、深海棲鑑と闘うため実在の艦船の名前と記憶を与えられた人造人間、艦船少女。その任に適さず不良品とされた少女達は人間の欲望を満たす目的で不法に取引されている。
 これを処分するための組織で、記憶を失いその力を持て余す少女カレン(駆逐艦 天津風)を軸に、その存在意義を問い続ける少女達を描く本作は、煙草を吸うシーンや性格の捻曲がったどんな残虐な殺され方をしようと”死ぬことができない”鑑娘などエッヂの効いたゲームに準拠しないキャラが登場し、荒削りな部分もあるが一概に「ラノベ」等と割り切れない非凡さが見て取れる。 
 作者はあまり表に出ることを好まず「余計なことを」と怒られるかもしれないが、決して多くはない近年の読書量の中に於いて、この作品との出会いは望外の喜びであり、迷惑も顧みずここに掲げさせてもらった。
新八角『滅びの季節に《花》と《獣》は 』タニグチリウイチ
スラガヤに暮らしている人々は等しく奴隷で、≪大獣≫と呼ばれる異能の使い手たちに仕え日々を生きている。スラガヤは≪天子≫と呼ばれる巨大な鋼の虫による攻撃を受け続けている。そんなスラガヤで育ち、全身に≪銀紋≫と呼ばれる奇跡を可能にする模様を、ひときわ多く刻まれてているクロアという少女は、人を食うと恐れられている大獣の≪貪食の君≫に引き取られスラガヤから離れた場所で暮らし始めるが、そこでスラガヤが≪天子≫の襲撃で危機に瀕していると聞き街へと戻り、≪貪食≫とともに前線に立つ。そんな上巻を経て下巻の冒頭でクロアは≪貪食≫と共に街から離れた場所に来ていて、そこで≪貪食≫から大獣の力が抜け落ち、三百年前に生きていたガファルという男の意識が蘇る。大獣と奴隷といった社会の構造も、昆虫の怪物に似た脅威のビジョンも独創的な舞台で紡がれる、生まれて来た理由を探し誰かを守りたいと思って戦いを選ぶ少女の物語だ。
マーク・ガスコイン編『タイタン――アドバンスト・ファイティング・ファンタジーの世界』岡和田晃
 かつてSF出版社が専門レーベルを擁していたことからも自明なとおり、ゲームブックもまた、SFと密接に関わる分野であった。今なおそうだ。RPGを一人でプレイできるソロ・アドベンチャー形式の嚆矢となったのは『トンネルズ&トロールズ』(T&T)シリーズであるが、パズラー的に精緻化させたのが『火吹山の魔法使い』に始まる「ファイティング・ファンタジー」(FF)シリーズだ。FFで育った世代が『アドバンスト・ファイティング・ファンタジー第2版』をデザインし、それが2018年に日本でも翻訳・出版されるという動きは、オールドスクール・ファンタジーの復権と解釈できる。日本オリジナルのT&Tソロ・アドベンチャー『トラブルinトロールワールド』の刊行、籾山庸爾が代表をつとめるハーミットインの奮闘という動きが見られるが、それらを象徴する作品として、素晴らしく生き生きした架空世界を提示した『タイタン』を顕彰したい。
RPG『パラノイア【ハイプログラマーズ】』岡和田晃
 日本SF大賞はこれまで、一回もゲーム作品へ授賞したことがない(候補作になったことはあるらしい)。これは端的に本賞のアキレス腱になっているだろう。もとより、SFとゲーム(とりわけ会話型のロールプレイングゲーム)は、相互に絡み合うようにして発展を遂げてきた歴史が存在するからだ。詳しくは、「SFマガジン」2018年6月号の「『恐怖の墓所』のその先へ」を参照されたいが、ことオーウェル風のディストピアをシミュレーションする強度において、『パラノイア』シリーズを無視することはかなわない。今回邦訳がなった【ハイプログラマーズ】は――現代日本の状況を連想させずにはおかない――腐敗した官僚の立場をシミュレーションするというユニークな発想の作品で、『ディプロマシー』や『フンタ』といった名作の系譜にありながら、小説では表現できない形のSFを体現しえており、十二分にSF大賞に値する斬新さがあるだろう。
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樺山三英「団地妻B」岡和田晃
 第37回日本SF大賞最終候補になった『ドン・キホーテの消息』に続く、樺山三英の最新SFは――某大手文芸誌に発行寸前で差し止めを受けた「セヴンティ」(「メタポゾン」10号に掲載)から5年を隔て――ようやく「すばる」2018年4月号に掲載された本作「団地妻B」である。これはフローベール「ボヴァリー夫人」の本歌取りでありながら、フェデリコ・フェリー二監督『8 1/2』やJ・G・バラード『クラッシュ』の語り直しを内包しており、それどころか、作中にも“カメオ出演”している蓮實重彦の批評を大胆に援用することで、小説でありながら「批評としてのSF」を体現する作品になりえている。樺山三英は日本SF作家クラブから退会してしまったが、この作品をスペキュレイティブ・フィクションとして位置づけることは重要だろう。「図書新聞」2018年4月21日号、5月19日号の「〈世界内戦〉下の文芸時評」も参照されたい。
吉川浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』岡和田晃
 わずかな例外を除き、日本SF大賞は理論的なSF批評・評論の仕事に対し、正面から向き合うことを避けていた。結果、知的な読者層を少なからず取り逃してしまっている。本書は、社会ダーウィニズムの「浸透と拡散」の問題点を、説得力のある筆致で刳出してみせた『理不尽な進化』の著者の第2評論集であり、優れたコレクト・クリティークとなっている。作品をベースにして(例えば)認知科学的なフレームを取り出すという手法が、これまでのSF評論のスタンダードだったとすれば、本作の方向性は真逆である。(例えば)ポストヒューマニズムの理論的な枠組みを示し、そのような大枠から、SF作品の意義を語ってみせるのだ。巷には、SFを論じるとなると、人口に膾炙した映像作品をうっすらとなぞって満足するような批評も少なくないのだが、本書では『スティーヴ・フィーヴァー』のような達成もきちんと踏まえられており、安心して読むことができる。
渡邊利道「エヌ氏」岡和田晃
 第3回創元SF短編賞・飛浩隆賞を受けた本作は、本来であれば『原色の想像力3』に収録されるはずであったというが、紆余曲折を経て5年の後に、「ミステリーズ!」Vol.90に掲載され、ようやく陽の目を見た。奇しくも評者は、応募時の原稿を読む機会があり、その際は、あまり評価できないとコメントせざるをえなかったのであるが、いざ改稿された本作を目にして驚かされた。5年という月日が、本作を成熟へと導いていたのである。トマス・ディッシュ「アジアの岸辺」への返歌といったコアの部分はそのままに、むしろ批評家として知られているだろう著者の見識が、枝葉として貪欲に盛り込まれ本筋と巧妙に噛み合うバロック的なスタイルをもたらしていた。それでいて、現代日本SFのアキレス腱であるジェンダーやエスニシティに対する批評性も盛り込まれている。批評的な知への無頓着を感じさせる新人作が少なくないなか、本作の意欲を大いに買いたい。
倉数茂『名もなき王国』岡和田晃
 SF文壇において幻想文学、さらに言えば“政治の季節”を横目で睨んだ作品は、どうも下位に見られる傾向があるようだ。世界文学を継承した作風とあれば、なおさらである。本来ならば、同じ作者の『始まりの母の国』(2012)の時点で、本賞へノミネートされていてしかるべきだろう(非常に優れた本格ジェンダーSFである)。が、本作を改めて推したいのは、初期の山尾悠子を思わせる硬質な文体において綴られる個々の短編小説の幻想性が、大きな枠物語としてジーン・ウルフ風の大胆な世界認識の読み替えをもたらす点だ。それは同時に、1980年代以降の新自由主義的文化状況を前提とする、アンダーグラウンド精神の復権を呼びかけてもいる。「SF Prologue Wave」や「TH」といったオルタナティヴ・メディアを初出とする短編も入っているのは、偶然ではないのだ。より詳しくは、「高知新聞」2018年9月9日朝刊で書評を参照。
youtubeチャンネル「東京大学大学院理学系研究科・理学部 School of Science, The University of Tokyo」関竜司
かなり以前から存在しているサイトだが、現代の最先端の科学をかなり手際よく紹介してくれている。特にサイト中央にあるEventsの最終講義シリーズは、東大名誉教授たちによる戦後科学史の様相を呈している。平木敬教授の「計算機を創る」(戦後のコンピュータの歴史が手に取るように分かる)、早野龍五教授の「CERNと20年 福島と6年」、駒宮幸男教授の「素粒子物理学の大展開」などどれも傾聴に値する素晴らしいものばかりだが、どの講義からも感じるのはマンパワーの重要性だ。コンピュータを一つ作る、加速器一つ動かすにしてもそこに科学者という人間の情熱がなければ何一つ進まない。一見、冷たく冷静に見える科学の裏側に、科学者たちの熱い思いが渦巻いていることが分かるだけでも本サイトの価値はある。
TVアニメ『ダーリン・イン・ザ・フランキス』関竜司
謎の巨大生物・叫竜に巨大兵器フランクスに乗り込んで戦う少年少女たち。彼らには名前がなかった……。アニメとは本来、若者のためのもの・ジュブナイルなものだ。この作品が目指したのは、アニメのジュブナイルなものからの成長、若者性からの脱皮だったのではないか。ココロの妊娠・出産に至るストーリーはそのことを端的に示している。そのためにこの作品には、錦織敦史監督はじめ多くのスタッフの知性とエネルギーが投入されている。本作は十代から二十代の視聴者に熱烈に支持されているが、それは製作スタッフの意図が明確な形ではないにせよ伝わった結果だろう。あまりに多くの要素を詰め込み過ぎたためにストーリー全体が破たんしている嫌いがないでもないが、だからこそ筆者としてはぜひ劇場版を見てみたいと思っている作品だ。「大人になるとはどうなることなのか」。《エヴァンゲリオン》ですらなしえなかったアニメの自律的進化の姿を目撃したい。
TVアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』関竜司
この作品をSFというのは少し無理があるかもしれない。明確にSF的なギミックがあるとすればヴァイオレットの機械の手だけだからだ。しかしこの機械の手がこの作品を単なるファンタジーの世界から引き離し、現実の世界へつなぐ架け橋になっている。アニメ界ではここ何年か「障害」というテーマが注目されている。京都アニメーションも「声の形」(2016)で聴覚障害をもつ少女や対人恐怖症の少年を扱っている。その文脈で言えば、感情を持たないヴァイオレットはアスペルガー症候群だ。しかし何らか欠陥の人間がいるだろうか。ヴァイオレットの生きる世界の住人はみな、戦争で心に傷を負っている。けれども誰しもそうした傷を抱えたまま生きているものだし、それが生きるということなのだ。「涼宮ハルヒ」に代表される表裏のない率直な性格がゼロ年代を代表するものだとするならば、京アニはそこから明確に成長した人間像を描くことに成功している。
バーチャルYouTuber「鳩羽つぐ」ターレットファイター
この動画を見たとき、我々はまず「これはなんなのだ?」と困惑を覚える。バーチャルYoutuberの動画のようでありながら、多くの動画で被写体である鳩羽つぐはほとんど言葉を発さず、また物音などについても何が起こっているかの理解が難しい形で挿入され、明快さとは程遠い。そのような特徴により、視聴者はその動画のフレームの外側で何が起こっているかについて否応なしに考えることを余儀なくされる。そういった解釈を誘う作品としてはこれまでも「新世紀エヴァンゲリオン」などが存在してきたが、そういった作品はストーリーとして一つの方向を持った作品に関するものであり、そのようなものを持たない「鳩羽つぐ」はバーチャルYoutuberという形態を装うことで輪郭を得、そのように読み解かせるものとして成立できたものである。
TVアニメ『ヘボット!』匿名希望
本作は推薦できるギリギリ範囲であるが、昨年9月に放送された最終回と最終回後の展開が大変興味深いアニメであった。まず、今までのハイテンションギャクアニメから一変、今まで意味不明であった物や事が全て繋がっており、登場する大半のキャラは主人公のアバター、世界が何度も創造され積み重なり干渉していたというSF観は視聴者を驚かた。事実を知ってから最後まで視聴し、最初から見直すと新たな発見に満ちており、視聴者は新しい『にちようびの世界』を見つけていけるネバーエンディングストーリーを完成させた。放送後のDVDBOXが驚異的な売上数や個展等の開催もそれを促している。
まだ『ヘボット!』は終わっていないアニメなのだ。
伊野隆之『蒼い月の眠り猫』しんじろう
日本SF新人賞を受賞したデビュー作以降、紙の本の出版がない著者が、2018年1月にキンドルから電子書籍フォーマットで発表した長編。冷静に考えればかなりシュールな敵キャラの造形や舞台となる東京市の濃密な空気感が秀逸で、表面的にはSFアクションの体裁をとりながら、明示的には語られていないSF的設定を深読みすることもできる重層的な作品だと思います。早く次の本格SF長編を期待したいという意味も込めてエントリーします。
恒川光太郎『滅びの園』しんじろう
今まではファンタジー色の濃かった著者だが、今回はSF的な要素がより強く打ち出されている。「プーニー」というネーミングがいかにも緩い感じだが、それは見せかけだけで、実際は重い。二つの世界の狭間で、個人の選択が大きな役割を果たす状況を作り出し、読者の倫理感を揺さぶる作品となっているところは、まさしくSFの本領を発揮したところではないだろうか。今までは、どちらかと言えば身近な異世界を掻いてきた著者が、本格的に異世界との相克に取り組んだ作品として評価できる。
小川一水『アリスマ王の愛した魔物』しんじろう
このアイデアで小説を書いてしまえるのかと読者をうならせる表題作を始め、一冊の短編集の中に多様なアイデアがそのアイデアを際立たせるような「語り」の技で盛り込まれている。特に「ろーどそうるす」「リグ・ライト」などの機械への目線が、AIが現実になっている今の時代のSFとして評価されるにふさわしいと思います。収録作の全てやSFらしいSFで、それぞれのテイストが違っていているところで、完成度の高い短編集です。「天冥の標」が完結したら、その時点で日本SF大賞の大本命ですが、これだけハイクオリティの短編集は見逃せません。
吾嬬竜孝『鉄腕アダム』霜月
死にかけのディストピアと化した地球と人類を救うために戦うヒューマノイド・アダム。その物語のラストは一見飛躍した展開にもみえ、すんなりとは受け入れ難いかもしれない。だがそれは、まだ我々が彼らの世界に追い付いていないことの証左ではなかろうか?「科学は人の幸福のために存在するのか?」「さあね。しかし科学は人の生き方を拡張する」作中で交わされるこの会話は非常に示唆に富む。理知と機微で整えられた思考実験をぜひ味わって頂きたい。
TVアニメ『ひそねとまそたん』板橋哲
龍が実在する現代日本という設定のSFファンタジー。航空自衛隊を舞台とし、龍たちは自衛隊機に偽装されているとするところが新しい。冴えない主人公が龍との相性からパイロットに抜擢されるところから物語が始まる。他にも竜のパイロットたちがおり、それぞれに事情を抱えている。その事情が龍との交流と経験を通して克服されていくのは物語の定石。途中、宮内省が関わってきて国家神道的な特攻物語になりかけて首を傾げたが、その影を現代的に軽やかに克服した展開にカタルシスを覚えた。子供はもちろん戦争体験世代にも見てほしい。きっとジワっとくるに違いない。
須田桃子『合成生物学の衝撃』板橋哲
SF作品ではなく、SFの元ネタである科学についてのレポ本。DNAはよっつの塩基でなりたっているので化学的に合成が可能。この合成DNAを生物細胞の核にいれたら、何事もなく増殖してしまったと言う。人工的な生物は現実に可能なのだ。この人造細胞・人造生命は長らく有力なSF的ガジェットだったが、これを可能とする理論と実験結果が生まれたことで、物語の設定として今まで以上に強い説得力をもち、物語世界を支えることが出来るだろう。科学の成果がSFを強化し、その可能性を拡大するという観点から、推薦する。
倉田タカシ『うなぎばか』板橋哲
これまたバカSF。タイトルまで「ばか」になっている徹底ぶり(笑)。うなぎの絶滅が本当に心配されている今日、うなぎが絶滅した後の近未来を描く。絶滅したうなぎへの執着やノスタルジーを隠さない人々のドタバタ劇をとおし、愚かしくも可笑しい人の欲望と身勝手さを浮き彫りにする。笑いながら読んだが、よくよく考えれば、こりゃブラックユーモアだよな。最後の最後、しらすうなぎが戻ってきたことを登場人物たちが話題にするところで終わるんだけど、やっぱり食うことを考えてるんだろうなぁ。
森田るい『我らコンタクティ』板橋哲
漫画版の下町ロケット。社会人としてはいささか頼りない主人公が、かつて冴えなかった高校の同級生と出会う。同級生は町の鉄工場で勝手にロケットを作っており、障害は多いが、必ず打ち上げられると信じ、迷うことがない。いろいろと定まらない主人公は、この同級生のロケット開発に一枚噛むことにしたことで人生が動き出す。結局、クライマックスで主人公らは逮捕されるが、打ち上げは成功する。搭載したテラリウム発電機が作動し、見るもののいない宇宙空間で映画が上映されるエンディングは見事。知恵と工夫と維持を貫いたく主人公の矜恃に喝采をおくった。ほとんどの人はそのように生きていない。だが、読後、自分にも何かができると信じたくなる一冊だった。
八木ナガハル『無限大の日々』板橋哲
作者は同人漫画家だが、これまでの作品をまとめて商業出版した一冊。SF大賞の規定上は問題ないと思う。平行進化、確率論、進化論、軌道エレベーターの力学などなど科学的な教養を押さえた上で大胆なSF的ガジェットを縦横無尽に駆使しており、小気味いい。もしこれが文字SFだったら鳴り物入りでデビューしていることだろう。
政府による虚偽行為の敷延りょう
従前から政府の虚偽行為がなかったわけではない。その前提にたちなお当該年度は、作為的か否かに関わらず政府による虚偽行為が頻発し、日常化、敷延化した転換点であったといえる。国会における虚偽答弁は言うに及ばず、公文書改ざん、制度政策設計の根拠を示す調査の誤り、政府統計のミス、障害者雇用率の誤りなど、科学的知見と社会正義とを著しく欠くノンフィクションが、国民から政府への信頼を失墜せしめたことは、本賞評価基準にある「以前の世界が想像できないような」に相応しい、情けない出来事として逆説的に記録にとどめる価値を有する。
宮内悠介『超動く家にて』板橋哲
鬼才宮内悠介が本性(?)をさらけ出して書き上げたバカSFの集大成。宮内がバカSFを得意とするのは「スペース金融道」ですでに明らかだが、どんなにバカを装っても内面的な知性と真面目さが滲み出てしまうのが宮内作品。宮内はバカSFをバカバカしく書くのではなく、バカSFに真面目に取り組んでしまうため、怪しげな実験小説になってしまい、ニヤニヤと変に感心させられる。この知性・真面目さとのギャップが味付けとなってバカSF的な笑いが一層濃くなっていくのだった。
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TVアニメ『ダーリン・イン・ザ・フランキス』多々唯 只徒
文明が一度滅んだ世界“トリカゴ”と呼ばれる施設で「パパ」と呼ばれるオトナ達に管理され、戦うことを義務づけられ名前も与えられず番号で呼ばれて生きるコドモ達が、突然現れた一人の異形をきっかけに自分達の在り方に疑問を持ち、やがて愛する者の為にオトナや社会に何度踏みにじられても、セカイを壊そうとしていく。
 フランクスと呼ばれる女性のフォルムを持ったロボットのコクピットでの男女ペアのパイロットの位置関係や、戦闘のダメージを女性が全て負担するなど性的暗喩や出産を思わせるイメージも多く、キャラクターの一人は自然分娩がなくなったこの世界で実際に妊娠、出産をする。
 物語終盤に於いてはその様相を根本からひっくり返し視聴者を驚かせた。
 自分達と違う存在を理解しようとすること、出自の異なる者と愛情を育むことなど今日的な人種やジェンダーの問題を織り込みながら、子供達の生き苦しさを多様に描いて見せた作品。
山田正紀『バットランド』板橋哲
ベテランが存分に腕をふるった短編集。ひとつひとつの作品の発表年はちょっと古くなるが、大胆な奇想と重厚なSF設定を組み合わせ、何年経っても読み応えのある傑作が集まっている。量子もつれ、多宇宙論など最新の物理学・宇宙論の成果を痛快な活劇やアクションと交差させる作者の力量には舌を巻かざるを得ない。読者にとっては、数行読み進めるたびに自分の教養の全てが試されているようで、スリリングな読書を楽しめた。重厚な設定は説明的な文体に陥る危険があるが、どの作品もむしろ視覚的で、まるで映画を見ているかのようだった。
早瀬耕『プラネタリウムの外側』板橋哲
SFマガジン連載の北大シリーズをまとめた連作長編。野心的な若手研究者が大学の有機素子コンピュータを流用して対話AIを開発。このAIとの対話を通して、それぞれに複雑な事情を背負った登場人物たちの心が解きほぐされていく。エピソードは恋物語の体裁をとっているが情動的な描写はむしろ抑制的で、過去との決別と再生のほうに力が入っている。大学を主な舞台としていることもあって、自分の青年時代を重ねて読んだ読者も多かろう。自分も初読の時から懐かしさを覚えながら読んだ。野心と冒険、挑戦と挫折。夢と希望とほろ苦い思い出の全てが塊となって胸に迫る物語であった。
津久井五月『コルヌトピア』板橋哲
植物を計算資源として使えるようになった近未来。計算資源である森の管理官が謎の火災の原因を追求する過程で、植物と人間の関わりに新たな可能性が見出されていく。物語はそれほど進展せず、謎解きとしては物足りないが、とにかくビジョンが鮮やで、読後、まるで優れた絵画を鑑賞したかのような印象が残る。計算資源としての植物・森林に囲まれ、至る所で緑化された都市のビジュアルはとても魅力的だ、今後SFの定番ガジェットして用いられてほしい。ここ数年ポストヒューマンが日本SFの流行だったが、植物がそれに負けず、SFの可能性と方向性を大いに拡大することを確信した。
折羽ル子『カラテネコ対ウサギロボ17』匿名希望
子ども向けキャラクターノベルの様相をとりながら中身がエグく、キャラクターたちも人間味があるアヴァンポップ。
一部の人には妙に受けているけれどタイトルから敬遠されるのか外に広まる様子もないのでエントリー
施川ユウキ『銀河の死なない子供たちへ』鷲羽
「限りある命だからこそ良いのだ」だけならば、あるいは「生きている方が良いに決まっている」だけならば、誰にでも云える。死なない子供と死ぬ子供を主人公に据えた本作は、どちらの結論にも陥ることがなく、かと云ってひねくれるわけでもなく、真摯に、愚直に、命について問いかけ続ける。推薦者は本作以降、命について考えるたびに、πとマッキとミラと母のことを思い返すだろう。
山本弘『プラスチックの恋人』板橋哲
 ロボットとの性行為を売りにする娼館があらわれた未来。少年少女の外見をしたロボット娼館が現れて社会問題化する。その取材と行為を通して、人間の性のどうしようもなさと、それをめぐる人々の愛着と逡巡を描いた。青少年ロボットとの性行為を憎む者たちの怒りも対等に描き、近年我々が直面する児童ポルノをめぐる世間的な葛藤も浮き彫りにした。しかし物語はそこに終始しない。ロボットたちは事件に執着することなく次のステージへ軽やかに向かっていく。個体であることへのこだわりすらなく、ロボットたちは淡々と事実を受け止め、飄々と未来へ向けて歩み出す。その爽快感は、おそらく我々の未来への信頼につながっている。
田中啓文『宇宙探偵ノーグレイ』三瀬 弘泰
ヒドイ!(笑)
こんな無残な扱いの主人公がいるだろうか!
(帯にも小っさく書いてありました)
「水戸黄門」的な予定調和を最終話がきっちり締め「くぅ~!」っとSFマインドを唸らせる!
毎回毎回ある状態に陥る主人公
並行世界のようにも読めますが、どちらかというとレムの『泰平ヨンの航宙日誌』に読後感は近いとおもいました。
SFというのは切り口次第で喜劇にも悲劇にも感動劇にもできる。
可能性は無限大!と再認識させてもらえた作品でした。
ヴィジュアル面でもYOUCHAN先生の表紙は全話の要素入りでスゴすぎ!(流石!)
情報量がハンパ無い!ですがスゴクまとまってるのが素晴らしい!
谷甲州『工作艦間宮の戦争──新・航空宇宙軍史』三瀬 弘泰
第二次外惑星動乱中期。
初戦以降、戦争が如何に進展したかを”ある”航宙艦を中心に置き、地球と外惑星両方の視点で進む。
登場人物たち同様、読者は限定された情報のみで状況を把握して読む。
このスタイルが面白いです。
は前作で描かれなかった第二次外惑星動乱を詳細なエピソードで読む事ができ、昔ながらのファンとしてはとても嬉しい。
よくぞ書いて下さった!
さらに前作も新装版で刊行され、新しい世代も読めるようになったのがまた嬉しいです。
ハリウッドの大作映画では感じ取れない”地味でハラハラする”宇宙戦闘を読書で体感できる傑作!
次巻はどの宙域での話が待っているのか!?
楽しみです。
石川宗生『半分世界』三瀬 弘泰
現実と虚構の境目が曖昧な作風がとても面白いです。
まさに”石川ワールド”が紙面から溢れ出てきて、どっぷりとその世界に浸ることができます。
特に好きな作品は『バス停夜想曲、あるいはロッタリー999』
いつくるかわからない目的地行きのバスを待つ間、その場所に”コミュニティー”ができあがる。
そこには更に複数の物語が発生する。そのストーリーを想像するのも楽しい。
これが著者の初期作品とは驚きです!
現代を代表する傑作が現れた!と読了後に思いました。
帯にも書いてありましたが、『日本発世界文学』という煽りに嘘はない!
村田沙耶香『地球星人』草野原々
SFはたくさんのディストピア作品を描いてきました。それらは途方もなく悪夢的です。しかしながら、最も悪夢的なものを忘れていないでしょうか? そうです。この世界です。世界は人間製造工場として、えっちらおっちら人間を製造しています。生物学的社会的工学的物理的複合体システムである人間製造工場がどのようなものか、この小説には書かれています。この世界を逃れることはできるでしょうか? 主人公は魔法少女ですが、さすがに魔法を使っても人間製造工場に勝つことはできないと予想されます。しかし、彼女は単なる魔法少女ではありません。ポハピピンポボピア星人の魔法少女なのです。それが世界=人間製造工場に勝つ鍵なのです。
安堂維子里『バタフライ・ストレージ』匿名希望
人が死ぬと魂が蝶になって抜け出す世界。その蝶を捕獲し管理する「死局」に勤める百士は盗まれた妹の蝶をさがしており…。個性的なキャラクターに様々な陰謀がからみあい熱いドラマが繰り広げられる。「蝶」をめぐる世界の作り込みが面白い。アクションも多く見応えがある。
森田るい『我らコンタクティ』匿名希望
仕事にあきあきした主人公が自力でロケットを打ち上げたいという元同級生にであう。宇宙人とのコンタクトを目指す前に、様々なめんどくさいやつらとのコンタクトを体験する、我らコンタクティ。大胆な筆致の勢いのある絵で駆け抜ける地べたSFマンガだ。
草野原々『最後にして最初のアイドル』巽孝之
世に上出来な SF小説というのは少なくないが、そのぶん、決定的に新しい SFを書くのは、必ずしも容易ではない。ところが草野の SFは従来の SF観をその根底からゆさぶるような衝撃力を備え、しかもSFファンの心を掴んで放さない。なにしろ表題作は何の変哲もないアイドル・ファンの少女が自身の死後に、いつしか宇宙史を支配するアイドルになっていくというとんでもない展開であるばかりか、意識がアイドルを求めるのではなく、アイドルの存在こそは人類が意識を獲得するに至る必要条件だったという驚くべき逆説に行き着くのだから。 21世紀 SFの曙を伝える一作。
樋口恭介『構造素子』巽孝之
これまで多くのオールタイム・ベストにウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリングの「ディファレンス・エンジン」を挙げてきただけに、伊藤計劃&円城塔「屍者の帝国」、高野史緒「カラマーゾフの妹」の系譜を継承しつつ、 SFの父の一人エドガー・アラン・ポーへの大胆な再解釈を試み、壮大なメタSF 史を試みたこの蛮勇を、評価しないわけにはいかない。
眉村卓『日本SF傑作選3 眉村卓』匿名希望
 日本SFでありそうで意外に少ないのは、組織というものを扱ったSFではなかろうか。組織に翻弄される個人や組織の非常さを描いた作品はあるとしても、組織の内部から組織を分析する視点となると稀である。そうした点で、今日でもこの作品集は色あせていない。
宮内悠介『超動く家にて』匿名希望
一言でいえば、「トランジスタ技術の圧縮」のような作品を書ける作家は、宮内さんをのぞけばいないのではなかろうか。くだらない話と帯に書いてあり、じっさいそうも読める。ただ全体を通して見える、ロジックの異なる、本来なら交差しないはずのベクトルを交差させる視点は余人を持って代えがたい。
劇場アニメ『GODZILLA決戦機動増殖都市』匿名希望
第1作『怪獣惑星」』は、その舞台や人物設定の飛びっぷりに驚きながらも、ゴジラの位置付けには不消化な思いを抱いたが、この2作目は、それを見事に転回させた。起動都市、フツアの神、もう1つの凶悪な存在。その位置付けには、スタッフの強烈な怪獣愛がある。その愛が、複雑で精緻なSF設定の中に「怪獣」を華麗に着地させている。これこそ、『シン・ゴジラ』以前のゴジラシリーズを正統に継承しつつ、まったく新たなゴジラと怪獣の存在を提示した作品である。今後、ゴジラ作品は、これ以前には戻れない。『シン・ゴジラ』ではなく、これこそ、それに値する。
草野原々『最後にして最初のアイドル』阿部毅
表題作は2016年の発表だが、2篇追加されたワイドスクリーン・バロック作品集として評価する。収録作はいずれも、形状的にも精神的にも奇形なキャラクターが、物理法則を超えて(しかし超えるべき物理法則は押さえたうえで)、時空もすっとばして大暴れする話で、イマジネーションの飛躍がとんでもなく気持ち良い。とはいえガチガチなシリアスではなく、全編奇怪なユーモアにあふれていて、なんだか心くすぐられる。久々にSFを読んでスカッとした。
樋口恭介『構造素子』阿部毅
言葉が世界を構築してゆくアルゴリズムを示し、それに沿ってプログラムを動かすことで、幾つもの世界が誕生し、そして消滅してゆく様子をスリリングに描いた傑作。文体や構成も、起こりうる事象を想定して書かれたエラーのないコードのように、緻密に計算されていて美しい。言葉で語ることの意味を、結局言葉で語らねばならないという、矛盾や不完全性を突きつめて描こうとする姿勢もSFとして高く評価できる。純然たる物語ではないかもしれないが、SF以外の何物でもない。
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吟鳥子/ 首都大学東京大学院システムデザイン研究科航空宇宙システム工学域宇宙システム研究室/佐原研究室『きみを死なせないための物語』『きみを死なせないための物語 宇宙考証の解説』kotokata
宇宙コロニー、秘密の知識、新人類の主人公達 と要素を書き出すとまるで別物になるSF少女漫画 ディストピアな社会で恵まれた立場の主人公達がどう感じ、何を選択するのか、この世界はどこへ向かうのか、まだ明らかにされていない謎も多く続きの気になる物語です。

宇宙工学の先生が考証をする、その先の宇宙考証の解説をネットで公開というとても贅沢な知識の啓蒙が、知識が制限される作品世界と対照的です
http://www.comp.sd.tmu.ac.jp/ssl/kimi_storia/index.html
石川宏千花『わたしが少女型ロボットだったころ』匿名希望
これは、ある朝、自分が「少女型ロボットである」ことに気づいてしまった中学生の少女の物語である。彼女は食べられなくなる。ロボットは食べる必要がないからだ。彼女はやせていく。ロボットはやせないはずなのに。物語はそれにも論理的整合性をつける。しかし、母は彼女がロボットであることを認めない。彼女はなおもやせていき、学校にも行けなくなる。それでも、彼女は問い続ける。なぜ、私はロボットなのかを。そして、物語は主題に迫る。『〜だったころ』というタイトルに。語り手(彼女)は、今どこにいるのか? もうロボットではないのか? 人間なのか? そして、彼女の創造主とは? 何故、創造主は彼女をロボットとしたのか? 何故『〜だったころ』なのか? ごくごく個人的な日常生活の中でつづられる、たおやかな少女の物語は、これらの問いをたてることにより、先鋭たるSFへと昇華する。
早瀬耕『プラネタリウムの外側』野川さんぽ
北海道の大学と街を舞台にした恋愛小説。ミステリアスで、哲学的で、しっかりしたSFの結構を備えている。人工知能と人間との対話が重要な意味を持っていて、どこまでが現実で、どこからが創られた世界なのか、読者を不思議な世界に導く。
上田早夕里『破滅の王』野川さんぽ
第二次大戦中の中国を舞台に、新種の病原体が蔓延してゆく過程をミステリアスに描く重厚な歴史改変SF。入念な取材にもとづく医学的設定と、虚実とり混ぜた登場人物たちの行動が迫真的。小松左京『復活の日』を継ぐパニックSFでもある。
円城塔『文字渦』野川さんぽ
漢字を見つめていると、それが奇妙なものに思えてくることがある。そんな感覚を、とんでもない発想で物語にした奇想小説の数々。漢字が生命をもち、繁殖し、進化し、発光し、宇宙へ飛び出してゆく。純文学とSFのジャンルをごちゃまぜにしてしまった著者の面目躍如たる連作短編集だ。
山尾悠子『飛ぶ孔雀』野川さんぽ
読む迷宮。著者の郷里と思える架空の地を舞台に、火の燃えにくくなった世界での出来事を、複雑なジグソーパズルのように描き出してゆく。突拍子もない光景をあちらから見たり、こちらから見たり。読み解く楽しみに満ちたオムニバス作品集だ。
柞刈湯葉『未来職安』野川さんぽ
軽妙な書き方がなされているけれど、実は、大変に重要な問題を扱った近未来SF。ロボテクスの進展が人間から職を奪うとしたら、社会はどうなるのか? ここでは、ベーシックインカムが機能して、思いがけないユートピアが実現しそうになっている。そこで人間はどう生きるか? さまざまな要素を取り込みながら、深刻ぶらずに考察を巡らす。
高山羽根子『オブジェクタム』野川さんぽ
中短編3作を収録。表題作は謎の壁新聞を巡る少年と祖父の物語。老人の遊び心と子どもの冒険心が街をテーマパークのように変える。「太陽の側の島」はメビウスの輪のような不思議な構造をもつ本土と島の物語。いずれも言葉とエピソードのひとつひとつが刺激に飛んでいて、実に魅力的。
八木ナガハル『無限大の日々』継堀雪見
「SFとは入念に作りこまれた”場”である」と思わず言い切りたくなる、様々な奇想的世界を回遊するような漫画短編集。ふらっとした描線で描かれる少女と機械人間と都市のもけもけとした魅力もさることながら、平行進化・確率論・軌道エレベーター・群知能など硬派な素材を的確に捌く手際の良さは特筆すべきだろう。(作者による理論等の解説コラムも親切で分かりやすい。)特に「SFC特異昆虫群」や「ツォルコオフスキー・ハイウェイ」で展開される壮大な幻視的光景は、漫画ならではの迫力とロマンと不穏さに満ちている。ハードSFとして直球でありながら、夢幻的な作風で幻惑する空想科学物語群。
天瀬裕康『疑いと惑いの年月』天瀬裕康
SFには特定のスタイル・パターン・テーマがある。それによって初期のSFファンは感動し狂喜してきた。が、社会がSFというものの存在をある程度は知るようになったものの、なおかつ食わず嫌いで違和感を覚える者も多いとすれば、これまでとは違うSFが必要かもしれない。
 ここに推薦した長篇は、SFと見做されない可能性が大きい。自叙伝の一種として読む人も多いだろう。が、これはフィクションであって事実ではない。著者と作中の主人公および家族は違った構成で書かれており、私小説の範疇にも入らぬ意識の流れ、いわば内宇宙小説なのだ。これが一定の読者層を獲得するなら、SF界は新しい段階に入った、と言えるだろう。
 こうした意味から、私はこの本を推薦する。
TVアニメ『はたらく細胞』浅木原忍
ここ数年花盛りの擬人化作品たちが、「元ネタを知らなくても問題ないけれど、物語やキャラの関係性を通して元ネタに対する関心を喚起する」というスタンスだったのに対し、本作は〝人体の細胞の擬人化〟であることを純粋に徹底した結果、人体の仕組みについての教育アニメの形式と擬人化ものの深夜アニメの文法が合体した「老若男女のための教育アニメ」というべき快作に仕上がった。大人になってから理科の教科書を改めて読み直すような面白さを持った「サイエンスのフィクション」として日本SF大賞に推薦したい。
劇場アニメ『GODZILLA 怪獣惑星』匿名希望
国民的コンテンツ×本気のSF考証=楽しい!

怪獣映画なのだから素直に国内のランドマークが踏み潰される様を「たーまやー!」と楽しめば良いのです。それをついついSFとしてはどうだ生物学的にはどうだ現代の軍事事情に鑑みると――などと、リアリティ談義に華を咲かせてしまうのだからオタクは面倒くさい。
これはそんなオタクの与太話を大人が真剣なアニメとして創り上げ、れっきとしたゴジラシリーズ30作目として公開してしまった問題作です。しかもそれはただ一国の核の禍根を超えて、Netflixで世界同時配信するにふさわしい民族と民族の問題、「同じ釜の飯を食って協力し合ってきたはずの理性的な人間同士の目に、互いが怪獣に見える瞬間」にまで踏み込んでしまっているのだから大人げないにも程があります。
ここまで好き勝手をされたら他の国民的コンテンツだって大人げないSFにしたくなるはず。そんな期待を込めて推薦します。
滝澤真実『操翼士オリオ』岡田 基
舞台は戦争後に荒野と化した世界の中でも、たくましく生き抜く人々が描かれている。何度も何度も窮地が襲いかかり、一難去ったと思えばまた違う窮地が襲いかかるという風に、非常にテンポよく展開されていくため、一気に引き込まれて1日で読み切ってしまった。

タイトルにもなっている操翼士たちが操るタコは、名前のイメージ通りの凧のように平行に浮いているような描写もあれば、エンジンを稼働させ、ニードル弾を発射させたりと、戦闘機のようなイメージもあり、読み手の受け取り方次第で色々な想像が掻き立てられるオリジナル性の高い不思議な乗り物だった。

様々な形状で登場する科学兵器のアウム、そして前述したイメージが膨らむタコと個性的で魅力的な人々がいっぱい登場するため、是非映像化したものを見てみたいと感じた作品でした。
石川宗生『半分世界』匿名希望
どえらい新人がまたもや登場したと思った。不条理で奇妙でへんてこで、国書刊行会「未来の文学」や水声社「フィクションのエル・ドラード」に収めてもいいと思う。日本人だけど。マジックリアリズムな物語手法、壮大にエスカレートする異常事態、クールで淡々とした語り口、このバランスがとてもいい。言葉から喚起されるイメージが凄まじく、非常にユニークな作品集だ。
映画『花筐 / HANAGATAMI』宗方俊一
本来劇場デビュー作になるはずだった檀一雄原作『花筐』映画化を、80歳となった大林宣彦監督が、大病との闘いの中で撮りあげた執念の一作。ところが、老いて枯れるどころか狂い咲きといってもいい映像の釣瓶撃ち。『HOUSE / ハウス』から変わらぬ映像の魔術師は健在であった。デビューから40年、映画で「時をかけ」てきた巨匠大林宣彦監督の今後に期待して、ここに今作をエントリーしたい。
倉数茂『名もなき王国』匿名希望
芳醇な物語だ。読み終えた後の余韻が素晴らしい。冒頭、作者の自伝的な物語なのかと思わせながら、どんどん読者を物語の中に引きずり込んで撹拌していく。いくつもの小さな物語が、まるでミルフィーユのように重なり合う。家族の崩壊や社会的弱者のことなど、シリアスで直視することがつらいモチーフをこれでもかと織り込んでいるのに、どうしてこんなに豊かな世界が描けているのだろうか。もしかしたら一回読んだだけでは読み解けていないのではないか。ジーン・ウルフの後継者が実は日本にいたのかと、そんな印象すら受けた傑作。
宮内悠介『超動く家にて』宗方俊一
「原始、SFはバカ話であった」とは、大原まり子、岬兄悟編『SFバカ本』の帯文だったと記憶しているが、SFバカ本シリーズが途絶えて久しく、バカ話系統のSFをこよなく愛している身としては、一抹の寂しさを感じていた。日本SFの最前線に立っているといって間違いのない宮内悠介の短編集が、まさかのバカ話集であったことは僥倖というほかはない。今後もさらなるSFバカ話を期待してここにエントリーしたい。
早瀬耕『プラネタリウムの外側』宗方俊一
『未必のマクベス』から『グリフォンズ・ガーデン』と過去作が文庫化されて話題となる中、連作小説集として出されたこの『プラネタリウムの外側』は、著者の最新作として、サイエンスと恋愛小説の融合した静謐な美しさに満ちていると思う。今後へのさらなる期待をこめて、大賞にえんとりーするものである。
藍内友紀『星を墜とすボクに降る、ましろの雨』タニグチリウイチ
地球に迫る星を、軌道上の庭園と呼ばれる場所で地球からデータを得て、特殊な眼で観測して巨砲<トニトゥルス>で撃ち砕くスナイパーの少女・霧原が主人公。チップを埋め込まれ駆使された脳はいずれ崩壊するが、その時を霧原は恐れいてない。スナイパーは星を撃つことを至高の行為と信じ、星に砕かれ死ぬことを厭わない。刹那的という感情すら持たないスナイパーたちがいずれ迎える終焉を、霧原も同様に感じている。軌道庭園に星が迫り霧原の暮らす環境も大きく変わるが、それでもスナイパーを止めず、砕かれても星を撃ちたいと願う気持にも変化はなく、その身の変化も当然のものとして受け入れる。愛や家族といった旧弊な観念に囚われず、拒絶もしないで自分を貫く霧原に世代間、あるいは種としての隔絶を見る。『緋色のスプーク』の頃から変わらない、淡淡とした筆致と突き放したような世界への独特な視線を持つ物語。作者はその特色を貫き書き続けて欲しい。
大前粟生『回転草』樋口恭介
これはなんだろう。何にも似ていない。たとえばそれはバリー・ユアグローのようでもあり稲垣足穂のようでもある。けれどもやはりどこかで違う。大前粟生は大前粟生で、大前粟生の想像力だけがここに広がっている。無数の奇想があり、それらの奇想は、あたかも作者が実際に見てきたものをそのまま書いたようにそっけなく書かれる。そこにはリアルな手触りがある。音があり匂いがあり痛みがあり、つまり現実がある。そう、小説はもう一つの現実なのだと思い出す。
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高木刑『ガルシア・デ・マローネスによって救済された大地』樋口恭介
神と宇宙、そして偽史。短いなかで、よく練られた設定と深い思索が、豊かな引用とともに織り込まれ、大きな物語が魅力的なキャラクターとともに語られていく。これぞSFと言わんばかりの巨大で緻密な想像力を、ぜひともこの場で推薦したい。
笠井康平『私的なものへの配慮No.3』樋口恭介
創作集団いぬのせなか座のメンバー、笠井康平のデビュー作。
私とテキスト、そのあいだで取り交わされる無数の誤読。誤読の数だけ屹立する多元宇宙。ウェブスクレイピングと自然言語処理、テキストの自動生成、その中で消失する私となお残る、私とあなたのすべての痕跡。
ビッグデータとGDPRの時代に、広義の文学は何を担いうるのか? という問いをつきつめて考えた内容と形式になっており、SF小説であり現代詩であり私小説でありエッセイであり批評でありコントでもある本作は、現代文学の完全な形態の一つだと考え、これを推します。

※詳細はこちらをご参照ください。
https://togetter.com/li/1231013
“熊の”ジム・ピーターズ『ベア・ダンジョン+ベア・カルトの地下墓地』吉里川べお
ロールプレイング・ゲーム(RPG)のシナリオ集と、門前払いすることなかれ。本作はペンとサイコロという古式ゆかしき機関にて、我らを遙かな旅へと誘う。使用するルール「トンネルズ&トロールズ」は初版が1975年。背景世界も原初の野性を今に伝える。
ひとつめの『ベア・ダンジョン』は、地上の城に伝わる悲恋もそこそこに、下には誰も生還させる気のない怪物と、罠の数々が待っている。最深奥に据えられた巨大すぎる弓の威力はサイコロ3360個。なんたるセンス・オブ・ワンダー!
もうひとつの冒険『ベア・カルトの地下墓地』は本邦初訳。全長10メートル超の熊(カルトのご神体)から逃げて入った迷宮は、35年の時を越え、日本人が完成させた。本家に気遣うことなく背景世界にがっきと食いこみ、ルール40年の変遷までメタ的に織りこんだこのパートこそ、まさにRPGという文化が本邦に継承された証と言えよう。
TVアニメ『ペルソナ5』TAKE
PS3、PS4対応のテレビゲームのアニメ化作品で、人気コンテンツであるペルソナシリーズナンバリングの五作品目。冤罪により故郷を追われ、どん底からの生活を行う主人公がふとした切欠で手に入れたイセカイナビを用いて、世に蔓延る悪党の「心を盗み」、改心させるピカレスクロマン。他のシリーズならずゲームと一線を画すのは誰もが思いつきそうで思いつかなかった「人の心にある世界に入り、悪に染まった心を盗む」というもの。そういった世界は「パレス」と呼ばれ、主人公は同じように「追われた者」、「足掻く者」といった「アウトロー」同志で繋がり、やがて世間から「心の怪盗団」と呼ばれるようになる……その裏で、国家的陰謀も絡みだし展開は予想もしない方向へと動き出す、といった内容です。ゲームと併せて(2016年発売ですが)、この作品を推します。
ゲームアプリ『拡張少女系トライナリー』の「ちゃんねる神楽」Noddy
プレイヤーを表すアバター的な存在を一切持たず、無数のユーザーがそれぞれスマートフォン端末・アプリを使ってゲーム内の世界に介入するという過程も全て世界観とシナリオの根幹に置かれ、第4の壁を感じさせないこのアプリにおいて今年1月に実装されたシナリオ。量子力学やハードな社会問題、現実と非現実の境界というテーマにより大胆に踏み込んだこのシナリオでは、プレイヤーがそれまで見てきたストーリーをなぞりつつ、別の目的の下で新たな未来を目指すことになる。その過程でユーザーはどういう選択をするかが常に問われシナリオが大きく分岐する一方、プレイヤー全体が選んだ選択の割合もストーリーの更新に影響を与える。ゲーム中の会話が「選択肢」によりなされるというシステムにも意味を与え、アプリサービスの終了さえも「互いの世界を結ぶ回線の切断」として正面から取り入れたこのゲームはまさに現実を拡張する、他に類を見ないものだった。
岡和田晃『反ヘイト・反新自由主義の批評精神』荒巻義雄
大出版社では絶対に出さないであろう批評集をあえて出版した、いわゆる地方の一人出版社、寿郎社の土肥寿郎氏の心意気に感動した。マイノリティーへの目配りが岡和田晃氏の持ち味である。
 同氏の基本理念は〈惑星思考〉と思うが、解釈し直せば中央→地方、先進国→新興国、大国→小国の上から目線の思考パターンを解体せよということである。この構造は中央文壇→SFをふくむマイナー文学の関係であり、大手出版社→小出版社の関係と同じである。
 以上が推薦理由だが、SF以外の文学サークルでも、この著書は読まれているようである。
草野原々『最後にして最初のアイドル』荒巻義雄
筒井康隆初期から派生した横田順也のハチャメチャSFの系譜に繋がると思われる、特異な才能。しかも、小説作法の基本を押さえているので、今後の発展が期待できる。
 なお、初期筒井さんを連想させるような〈腑分け的な内蔵表現〉が何ヵ所かにあるが、必ずしも生理的ではない。知性的に処理されているように思え、現代美術の先鋭、画家のフランシス・ベーコンの作品、ならびにベーコンを論じた『感覚の論理』(ジル・ドゥルーズ著/法政出版局)を連想した。
動画「エレベーターで異世界へ行く方法が成功しました。」マリ本D
本作はYouTuberグループの水溜りボンドが“夏休みスペシャル”と題して公開した10本の動画のうちの1つである。「エレベーターである操作をすると異世界へ行くことができる」という都市伝説を検証する撮影の中で異常が起こり……といった内容であり、動画の始まり方や同様の検証をしてきたという事実もあって極めて秀逸なフェイク・ドキュメンタリー作品になっている。昨年からVtuberブームが起こり、一定の評価も得てきた。しかし一方で、Vtuber文化が成立するにあたって前提となるYouTuber文化に関しては(あえて?)見過ごされてきた感が拭えない。我々が評価しない間にも優れた映像作品が生み出されており、またこれからも生み出されようとしている。Vtuberブームが起きている今こそ我々はYouTuber文化と向き合うべきではないか。問われているのは、YouTuber文化に対する我々の姿勢そのものであろう。
石川宗生『半分世界』マリ本D
突如として2万人近くまで増えてしまった吉田大輔氏たちの顛末を追った第7回創元SF短編賞受賞作「吉田同名」、一夜にして半分になってしまった家で暮らし続ける藤原家と彼らを観測するフジワラーたちの奇妙な生活を描いた表題作など、身近なようでいてある一面ではとても異様な世界を描く四編を収めた著者初めての単著となる中・短編集。ある一つの奇想を始点としたディテール豊かな世界観の時点で圧倒させられるが、語り部たちの淡々とした語り口で端整に紡がれていくことによって一層リアリティが増されている。そういった意味で際立っているのは末尾を飾る「バス停夜想曲、あるいはロッタリー999」で、複数の語り部によって紡がれる奇妙なバス停の物語が、文明の勃興と盛衰にまで至る不思議さは唯一無二のものであろう。高いクオリティの作品をハイペースで送り出しているあたりに今後の活躍も期待できることも踏まえ、本書を日本SF大賞に推薦する。
小川一水『アリスマ王の愛した魔物』マリ本D
千夜一夜物語を彷彿とさせる妖艶な口調で語られる表題作を筆頭に、現代と地続きの近未来から人類が宇宙に進出した遠未来、ファンタジックな歴史物語と様々な時代・世界を描くハイクオリティな作品ばかりの短編集。時代や世界が様々なら語り口も様々で、バイクに内蔵されたAIが巡る運命を描いた「ろーどそうるず」は完全に会話劇のみで成立しているし、小さな宇宙港の管制官に訪れるファースト・コンタクトものの「星のみなとのオペレーター」はスケールの大きさとは対照的に日常を生きる女性視点で書かれているなど、主題の多彩さと同様かそれ以上に書き方の多彩さが際立つ。なかでも白眉は巻末の「リグ・ライト――機械が愛する権利について」で、祖父が車と共に遺したダッチワイフロボットを引き継ぐ話が“AIの人権”に繋がる様にはもはや唖然とさせられる。今の日本SFを代表する作家の力作が揃った本書が受賞に値するレベルにあるのは間違いない。
クリスティーヌ中島「うそつきロボット」クリスティーヌ中島
天才詐欺師と言われるうそつきロボットと、真実を見抜くロボットは勝負をすることになる。
勝負は見世物にされ、負けたロボットは廃棄されることが決まっている。
ロボットがどんな嘘をつき、誰を欺くのかがどんどん入れ替わる緊張感のある小作品です。
サンプル https://christinemanga.wordpress.com/2017/11/25/9uso/
収録本 https://amzn.to/2CP6fm9
クリスティーヌ中島「本物のアツシ」クリスティーヌ中島
平凡な高校生のアツシは、憧れのひなたちゃんに告白するが、振られてしまう。
ひなたちゃんは「個性的な人が好き」だと言うが、なんの取り柄もなく「個性とは何か」で悩むアツシ。
ある日、アツシは自分はクローン人間だと知り、同じ人間が何人もいて個性がより薄まってしまうことに悩む。
アツシは他のクローンたちと競って、あこがれのひなたちゃんの心を射止められるのか?
明るく前向きな小作品です。
一部サンプル https://christinemanga.wordpress.com/2018/06/10/atu/
石田スイ『東京喰種トーキョーグール:re』MUR
まず、主人公の造形が影響力が世界的に高かった。コミケやハロウィンだけでなく、Instagram等SNSでも真似る人が続出した。話もキャラクターが次々と出るのにほぼ休まず連載して風呂敷も畳んで進めてきた。喰種の食糧源が人間のみなのが誤魔化されて終了したのだけは悲しかったが十分2018年に世間を巻き込んだ作品だった。
TVアニメ『少女終末旅行』湯川千尋
廃墟を旅する二人の少女。移動手段は何故かケッテンクラート。ただひたすらあてのない旅の日々の積み重ねにしみじみさせられる。生きるのって難しい。生きるのって楽しい。生きるのって切ない。今この時をありのままに生きていくだけ。ケッテンクラートのキャタピラの回転の様に果てしなく。答えが何なのか?質問は何なのか?何も分からず、でも何かを探している二人の少女の不思議な旅に打たれました。
古橋秀之『百万光年のちょっと先』海宇未悠
「百万光年のちょっと先、今よりほんの三秒むかし」で始まる連作短編集。徳間書店の『SFJapan』に2005年から2011年に掛けて連載されていた作品を、当時からファンであった集英社の一編集者が「出版されないなら自分が出したい」と言う強い意志で、他社でありながら出版に至った貴重な一冊。その出版に至る経緯だけでも充分にドラマチックなのだが、1編ずつもそれぞれ、SFガジェットを活かしつつ『少し(S)不思議(F)』系のじんわりと心に染みる、SF世界での寓話集のような読み応えのある1冊。出版に至った経緯も含め、是非とも今年のSF大賞を獲って欲しい1冊です。
モロゾフプロジェクト継堀雪見
生年・生地は不明、代表作『加速する肉襦袢』(20万頁を超す大河長篇!)を始め、数十万もの作品を遺した天才無国籍多言語作家エメーリャエンコ・モロゾフ。ノーベル文学賞候補者であり、フランスでは研究書が上梓され、上海で翻訳書が刊行された、世界的にもよく知られた文学者のようだ。日本ではSF作家の樋口恭介が有志とともに〈モロゾフ・プロジェクト〉を立ち上げ、ラモーナ・アンドラ・ザビエル名義で翻訳・紹介活動を行っている。佐川恭一や大滝瓶太といったプロジェクトの参加者による活動の成果は、インターネット上の様々な場で公開されている。「ポスト・トゥルース」がバズワードとなり、虚実の曖昧さに人々が振り回される時代に〈モロゾフ・プロジェクト〉は出現した。そして、モロゾフの特異な作品群は多くの人々の手により今なお増殖し続けている。現実と虚構を絶え間なく攪乱させる、このプロジェクトは止まらない。
PUNPEE『MODERN TIMES』 継堀雪見
トラックメイカー・ラッパーとして多彩な分野で活躍する奇才PUNPEEのアルバムは、近未来(=2057年)の老人の思い出話で幕を開ける。アメコミ・洋画のネタを縦横無尽に織り込みつつもソリッドかつポップに仕上げられた楽曲群が、過去・現在・未来を行き交う見事な構成によって、一篇の〈SF映画〉として編み上げられていく。(また、EASTER EGGの仕込み方も面白い。)浮遊感のあるサウンドで遥か彼方まで飛んでいく「宇宙に行く」、マーベル・ユニバースへの愛とフィクションへの思いが迸る「Hero」など、個別の楽曲の強度も素晴らしい。企みとひらめきに満ちた、SF音楽史に燦然と輝く夢のようなマスターピース。
高島雄哉『ランドスケープと夏の定理』日向ユウ
科学ヘの憧れと畏怖と、知性に対する信頼を感じられる一冊。人が世界に意味を与える事こそが、今、この時に私たちの存在する意味であると、宇宙に人の存在する意味を問うた先達へ高らかに宣言する鮮烈な物語だ。多様性への賛歌と、豊穣な可能性を現実にできる人間の想像力の産物でもある。日本語原文でこの物語に出会えた幸せは、一生もの。
TVアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』言霊遊
メタフィクション作品として捉えたこの作品をエントリーしたいです。この作品は視聴者と作品と登場人物の関係を、「舞台」という舞台装置をフィクションの中で機能するフィクションとして用いることで、巧みに描き出しています。伊藤計劃以後の世界で、どうしようもなく身体である私たちに、フィクションを愛する人類に与えられた楽園のような作品です。また、実際の舞台と交わりつつ進展していくストーリーというのも、斬新であると思われます。広義のSF作品ということで、エントリーよろしくお願いします。
堺三保氏の映画クラウド・ファンディングに2千万円超の資金が集まる高野史緒
映画自体は作品そのものが完成してから評価すべきですが、SF短編映画一本に史上最高額とも言われる二千万円を超えるクラウド・ファンディング資金が集まり、SFファン以外の人々の関心を集めたという事実を評価したいです。このSF映画にとっての新たな時代を拓く第一歩は、今評価しておかなければ、二度と評価するチャンスは巡ってきません。是非とも推薦したいと考えます。
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動画《無駄づくり》シリーズ継堀雪見
科学技術はその有用性によって評価され、世界に様々な恩恵と災厄をもたらす……だけではない。コンテンツクリエイターの藤原麻里菜は、頭に浮かんだ不必要な物を作り上げる「無駄づくり」を通して、【キーボードから手を離すと、札束で頬を優しく撫でられるマシーン】などの奇妙な発明品を次々と生み出し続けてきた。また、Youtube上での活動歴も長く、台北で「無用發明展」を開催するなど、近年は国内外問わず活動の幅を広げている。創作への思いが綴られた表明文「無駄づくりとは」から窺える飄々としたスタンスは、現実に対峙する〈センス・オブ・ワンダー〉の在り方として極めてユニーク。日常とテクノロジーの〈現在〉を、軽快な笑いとともに更新していく驚異の試み。
篠原健太『彼方のアストラ』青井陽
王道少年マンガであり、正統派SFであり、少年少女がSF世界へ足へ踏み入れるきっかけとなり得る作品。平易で取っつきやすくありながら、SFの取り扱うテーマの深淵を覗かせもする。読者は、読み終わりに見える世界が読む前とはもう違っていることを、心地良い放心とともに感じるだろう。
岡和田晃『反ヘイト・反新自由主義の批評精神』渡邊利道
思弁と実践が作品読解を通じて螺旋状に結びつくSF的な方法で主に「純文学」とジャンル分けされる作家・作品を分析し、それによって現実に介入するアクチュアルな批評。従来から氏が語る「批評としてのSF」がいかなるものかをかなり明快に表現している。筒井康隆が大江健三郎の『同時代ゲーム』に賞を与えたいと考えたのがSF大賞設立のきっかけであったと語っていることを思えば、大江論ではじまる本書こそ、まさに賞を贈られるにふさわしいだろう。
高島雄哉『ランドスケープと夏の定理』渡邊利道
私の読んだ本年度のSF小説ベスト1。知性の普遍性を科学者が実験で証明してしまうことから始まるあれやこれやの物語で、「知性定理」「量子ゼノン効果による人格のアップロード」「ドメインボール内の別の宇宙」「一兆人の姉」「ランドスケープ宇宙論」など、矢継ぎ早に繰り出される虚実入り混じったアイディアの奔流と、スピード感のあるエンターテインメント性満点のストーリー展開が絶妙なバランスを取っていて、根底に流れる知性や存在への信頼が爽快だ。
多和田葉子『地球にちりばめられて』渡邊利道
突然祖国を失い、スカンジナビア全域で通じる人工言語を話す日本人らしき女性と、マザコンの言語学者と、ロランすジェンダーのインド人と、エスキモーの寿司職人と、彼に恋する学芸員の女性と、福井出身の言葉を失った男、そして言語学者のママが登場し、北欧を旅するディアスポラ言語駄洒落SF。ともすれば重くなりそうな気配を断ち切ってユーモラスに軽く展開する小説で、ちょっと冗談のような劇的な展開がすっとぼけていて魅力的。
田中兆子『徴産制』渡邊利道
疫病で若い女性の九割が死亡した近未来日本で、若い男性が二年間性転換して子供を産めば莫大な報奨金がもらえるという制度が成立する。連作で最初はブラックコメディ風に始まり、ハートウォーミングかと思えばどぎつくなったり、慰安所に落ちされる者などのハードな展開もある。よくできたジェンダーSFであり、食料問題や温暖化など未来世界の設定もよく寝られていて、いささか単純化しすぎている感じもあるが、エンターテインメントとしてはむしろそれだけストレートに面白く読めるかもしれない。ラストはちょっと驚きの認識が語られて作品全体がまた大きな問いに包まれる感じがある。
彩瀬まる『くちなし』渡邊利道
二篇を除いてSF色の強い作品が収録された短編集。恋愛や家族や制度や異端が主題で、切なくて鮮やかで官能的で重い、小説の文章を読む愉しみに満ちている。また表題作は川端(「片腕」)というように、名指しできるものもなんとなくのものも含め、読みながら思い出す作品が必ずあって、日本文学のなかの奇想・幻想・文明批評的な作品たちの伝統を継承・更新する力を感じさせるのも素晴らしい。
大滝瓶太『コロニアルタイム』渡邊利道
ネット発新進気鋭のSF作家の電子書籍オリジナル短編集。異端の数学者を父の肖像として世界の中に浮かび上がらせる叙情的な短編を冒頭に、つまらない音楽(家)をめぐるやはり「世界」を経めぐる短編、とつなげ、作品の中に未来(東京オリンピック)を召喚し、前二作を取り込んで連作に仕立て直し、ちょっと大江健三郎のセヴンティーンを思わせる思弁的テロ小説的短編を挟んで、論理と叙情と世界観が複雑に混交する最後の短編へと昇華する。これはなんとも見事な構成の作品で、何度も読み直して細部の接続・アレンジメントを確認したい誘惑に駆られる。
松崎有理『架空論文投稿計画 あらゆる意味ででっちあげられた数章』渡邊利道
学術誌の査読がいいかげんなのではないかと疑い、いかにも嘘っぽい架空論文を投稿する実験を繰り返してその経緯と結果を論文にまとめて投稿しようと計画する美形と作家のコンビ。そこに謎の組織「論文警察』やらアナクロ美女やらがからんできて何やらきな臭い空気が漂い始め……というチープな物語と小ネタ満載のユーモアSF。レイアウトが素晴らしく、架空論文も物凄く手間がかかっているのに隅々まで丁寧に作り込んであって、しかもあっさり気軽に読めて楽しい作品。
北野慶『虚構の太陽』杉村亜美
これほどに新しく、衝撃的かつリアリティのある作品は他にないと思うから。最初に抱く小説の中の世界の違和感が、読み進めるうちに爽快なまでにスッキリさせられる。誰もが驚く世界観を描いているが、同時にメッセージ性もとても強く、多くの人に是非読んでいただきたいと強く思う。
ブラッドレー・ボンド & フィリップ・ニンジャ・モーゼズ『フォー・フーム・ザ・ベル・トールズ』イエローオスシ
サイバネ技術が普遍化した未来都市、ネオサイタマ。ネイルサロン感覚でサイバネアイ手術を受けた女子高生、テマリはボッタクリに会い、荒野にあるという「女子高生収容所」に連れ去られてしまう。
女子高生収容所には数多の女子高生たちが集められ、セーラー服姿での虚無な労働を強いられ、女子高生たちからかけがえのない女子高生性が奪われていく。しかし、テマリの心が完全に絶望に染まりつつあったそのとき、救世主が彼女の前に姿を現した!
現代アートやJK作業所をモチーフに、日本文化においてなぜ女子高生やセーラー服が驚くほどの特別視や神聖視が行われるのか、そもそも「価値」とはどこから生まれるのか、というところに踏み込んだ作品。ニンジャスレイヤーシリーズの短編という扱いだが、単体でも問題なく読む進めることができるだろう。
北野慶『虚構の太陽』rsdry
未曾有の原発事故で亡国の民となった日本人の流浪を描いた『亡国記』で第3回城山三郎賞を受賞した著者の最新野心作。世界が脱原発・非核化へと動く中で、唯一核融合発電開発へと突き進む独裁国家=「この国」で密かに進む狂気の世界支配の陰謀を縦軸に、シンギュラリティー、人間とアンドロイドのセックス・恋愛、アンドロイドへの人間の記憶の移植等、AIをめぐる近未来的問題を横軸に織り交ぜながら、21世紀の文明のあり方をグローバルワイドなスケールで模索しようという意欲あふれる作品。一見、前作をも凌ぐディストピア小説だが、「この国」の対極に位置する「あの地」の描写に見られるように、その先のユートピアを希求する著者の反語法とも読み取れる。前作同様、スケールの大きさは非日本人的。
高山宏×巽孝之『マニエリスム談義 驚異の大陸をめぐる英米文学史』荒巻義雄
繰り返し読んでいるが、こんなに面白い本はない。「アリス狩りシリーズ」(青土社)他で知られた高山宏氏と、アメリカ文学研究のエース巽孝之が切り結ぶ博覧強記の両者、快刀乱麻の対談集。
 SF学は、ついにここまできた。文学研究は単に文芸作品の批評に留まらない。対象となる社会や国民の無意識まで探鉱することによって、〈国家無意識〉が理解される。
 SFとはマニエリスム文学の一ジャンルである。過去、SFとは何かという論争が重ねられてきたが、根本はマニエリスム思想であると気付けば、SFの未来も見えてくる。
 SFは、時代の娘であり、時代の鏡である。ウエルズやロウエルに始まる文明批評の系譜を芯とし、バックボーンとする痛烈かつ強烈な文明批評文学であることを忘れてはならない。本書は、 我々SF人を覚醒させるインパクトを保つ。
山尾悠子『飛ぶ孔雀』荒巻義雄
魅せる文体。山尾悠子は成熟した。なんという妖しさ。山尾悠子は現代の上田秋成(『雨月物語』)である。
 日経新聞の評者に倣って引用するが、
「去年のローソクに点した火は驚くほど長く伸び上がり、わくわくと動揺しつつ先端がめらりと黒い煤を吐いた……」
 まるで生き物の描写ではないか。このように、むしろ生理的に書ける作家が、他にいるだろうか。山尾悠子は詩人である
滝澤真実『操翼士オリオ』とも
悲しくて、切なくて、でも独特の世界観から目が離せない。
同じ状況に身を置いたとき、同じように振る舞えるだろうか。
いや、できないと分かっていつつ、憧れるキャラクター達。
年齢を重ねても、「SF」の中に入れる幸運を感じる。
バーチャルYouTuber現象大澤博隆
バーチャルYouTuberという名前自体が登場したのは2年前ですが、特に昨年12月のブームは、初音ミク登場後の2007年9月の狂騒に匹敵する、インパクトのある現象でした。技術や虚構表現を用いて、他者から見たときの実質的な人格を作り出すバーチャルYouTuberは、長年にわたる情報技術と日本のコンテンツ産業の申し子であり、実質的人格の実現法も、物語を介するものから対話的なものまで多様性に富んでいて、総合芸術の面があります。個人クリエイターから大手企業まで、あるいは作品上のキャラクターからアバター、さらには実際の人間までが、「人格」という統一インタフェースを介して、Twitter上でフラットに相互交流している状況は極めてSF的で、もうこれ以前の世界は想像ができません。本年も優れた作品は多々ありましたが、正直なところ大賞を与えるにふさわしい「SF的現象」としては、これ以上のものは思いつきません
首都大学東京大学院システムデザイン研究科航空宇宙システム工学域宇宙システム研究室/佐原研究室『きみを死なせないための物語 宇宙考証の解説』なつき
宇宙コロニーが舞台である少女漫画『きみを死なせないための物語』(著者:吟鳥子)の考証者が、身近な例えや平易な文章で宇宙考証の解説をしているサイト。
「テザー」「ペリジ」等の専門用語に限らず、「重量」と「質量」の定義による違い、地球の自転について等、広範な語句や現象に宇宙工学的解説がなされており、漫画の台詞から「宇宙空間に生身が晒された人体は一体どうなるのか?」という考察も。
SF作品に考証考察は付き物ですが、本サイトの専門知識の一般提供、少女漫画に昇華された作品への専門的見地からの解説の公開は、考証者自身のアウトリーチという学術的な意義も得ている事はエントリーに値するかと存じました。
なお、『きみを死なせないための物語』も良質なSF少女漫画ですが未完であり、完結まで静かに見届けたいと願い、エントリーは控えます。本サイトも同様に更新されていくでしょうが、「可視化」は大事と心得、投稿致します。URL:http://www.comp.sd.tmu.ac.jp/ssl/kimi_storia/
円城塔『文字渦』下村思游
日本語という言語を扱う誰もが一度は思い浮かべる疑問を、徹底的に問い詰めることで完成した作品集。漢字とかなの関係性に着目することもさることながら、作中における議論の展開や議論の結果到達する結論まで、これらの作品集の要素はすべてSFでしか出来ない部類のものであり、円城塔はこの作品集によって、SFを用いた日本語・日本文学の拡張を成したと言える。
瘤久保慎司『錆喰いビスコ』いしましん
兵器が生み出した『錆』によって文明が崩壊した日本が舞台のポスト・アポカリプスSF。錆を浄化するキノコを操る「ビスコ」、町医者の少年「ミロ」といった魅力的なキャラクターたちの織りなすストーリーに、錆によって変質した奇妙な生物が跋扈する緻密な世界観が見事に格納されている。骨太で魅力的なSF設定を、ここまで真っ直ぐで爽やかなストーリーに落とし込んだ作品は稀有。また全編を通じて提示される『愛』の在りかたについても、主人公とヒロインというありがちな枠組みを排しながら、見事に王道エンタメとして描き切っている。募集要綱が掲げる「このあとからは、これがなかった以前の世界が想像できないような作品」という条件を十二分に満たした作品であると考え、推薦したい。
天瀬裕泰『疑いと惑いの年月』宮本英雄
作者の自伝的な作品である。戦時中の呉市から始まり、原爆、終戦、そして復興、大学紛争、オイルショックと時代が流れるなかで、主人公は失踪した父の
ことがずっと頭を離れず、時代との違和感が増してくる。そして昭和の終わる年にその違和感の原因を知る。ラストはSF的な展開となるが、作者が描きたかったのは、軍国主義から戦後の民主化、そして東西冷戦により時代を支配する昭和の背景思想の変化に対する違和感である。いつの時代でもなにかしらこれはおかしいのではないかという疑惑、それが昭和の終わりに幕を閉じるのは
この作品が昭和という時代に対する作者のオマージュだからだ。
平成という時代が終わろうとする今だからこそ、読まれるべき作品だ。
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瘤久保慎司『錆喰いビスコ』タニグチリウイチ
第24回電撃小説大賞の銀賞受賞作は、超兵器の暴走で東京に大穴が空き、大地だけでなく生き物も浸食する錆に覆われ始めた日本列島が舞台。旅する少年ビスコはキノコ守りという一族の生まれで、あらゆる場所にさまざまな種類のキノコを生やす特殊な矢を使って戦いながら、錆を消す特効薬を求めて北へと向かっている。滅びに向かう世界を舞台に、身ひとつで異形の生物や街を牛耳る権力者に挑むビスコの熱い生きざまや、仲間となったミロという少年との友情を描き、生態系が変化しトビフグや筒蛇といった異形の生物が跋扈する、椎名誠の『武装島田倉庫』のような世界を創造した筆の力は、SF大賞として推すに値すると考える。
小林泰三『パラレルワールド』中村政幸
著者の小林さんは第22回『ΑΩ』、第23回『海を見る人』で、日本SF大賞最終候補に選ばれている、SF作家としてもベテランの著者です。世の中にはたくさんのパラレルワールド作品が溢れていますが、そんな中で本作品は敢えて「パラレルワールド」とそのままのタイトルを付けました。「酔歩する男」など、これまでパラレルワールドものを描いてきた小林さんご自身が代表作と語る本作は、日本SF大賞にふさわしい作品だと、担当編集者として恐縮ですが、自信を持って推薦します。
施川ユウキ『銀河の死なない子供たちへ』新恭司
何千年、何万年もの時間をいつまでも生き続ける子供、ライムを刻むπと本を読むマッキ。そして二人と同様に不死の"ママ"。何億の昼と何億の夜がいつまでも続く変化に乏しい日々だが地上には人類以外の生命に満ち溢れている。人間はどこへ行ったのか。死んじゃうってどんな気持ち?様々な経験を経て、πは未来を見据え、マッキはある決断をする。あとついでに言うと廃墟化した遊園地が出てくる作品は名作に決まってる。
安里アサト『86 ――エイティシックス――』86ファン
無人兵器の支配する戦場を気高く悲しく駆けていく、行き場のない少年少女の物語。作者の見識が行間から溢れ出る文章、キャラクターたちのみずみずしい描写、ライトノベル初の日本SF大賞受賞作にふさわしい精密性、現代性、娯楽性を持つ作品だと思います。
ころすけ『GEHENNA』Ueda Tatsu
本作品の魅力的なポイントとして、登場人物に実在する著名人をモデルにしている点である。(長沼毅氏、S・ホーキング氏など)
また、シンプルなコマ割りや斬新なタッチと特徴的な色使いはかなりイカしてる。
今まで見たことない話!とはいかないが、過去のSF作品に引けを取らない。
冒頭の"ムーアの法則"が作品のリアリティを増す。
「コンピューターは人類の知能を超える」イカす。
著者のころすけ氏は、この作品のテーマを「戦争撲滅」「地球環境問題」としている。これまたイカす。
作品はpixiv、ニコニコ静画にて掲載している。
篠原健太『彼方のアストラ』早瀬新
ジャンルはSFサバイバル物の漫画だが、その言葉では収まりきれないほど内容は濃く、テーマは多岐にわたり、罠に翻弄される。凡庸な作家なら処理できずに自滅に陥りそうな壮大な仕掛けは見事に集約され、それらをたったの5巻で完結させるという構成は明らかに挑戦的である。また、近未来を描きながらその実テーマは現代の諸問題でもあり、語られるSF要素は明るく楽しくわかり易さが心がけられている。全ての要素をあくまで少年少女たちに投げかけるという姿勢を一貫した点も評価したい。
映画『散歩する侵略者』継堀雪見
劇団「イキウメ」の主宰であり、スケールの大きい緻密なSF劇を得意とする劇作家、前川知大。精神的虚無と不安、そして愛を追求するJホラーの映画監督、黒沢清。映画『散歩する侵略者』はこの二人の組み合わせが相乗効果をもたらした驚異の達成である。原作の「姿かたちは人間と寸分違わない宇宙人が、概念を奪って侵略を進める」という独創的な設定を、ドライ&スタイリッシュに映画へと移し替えることに成功している。(特に、ジャーナリストである桜井の演説や爆撃の場面は圧巻。)侵略SF映画として、他に類を見ない怪作にして傑作。
米田淳一『プリンセスプラスティック・コンフュージョンコントラクト』米田淳一
デビュー20年目の私ができる限りを振り絞って書きました。SF的な新奇さはどうか私にはわかりません。何を描いても無駄と言われてきた20年でした。でもこれまで出会えた多くの人々への感謝と敬意をもって、私なりに志だけは高く書いた作品です。結果拙いものだとしても、せめて書いた私だけでも応援してあげないと、この作品に降りてくれたキャラクターやアイディアがあまりにもかわいそうすぎると思いました。女性サイズ女性形超小型宇宙戦艦、という新奇さも結局は20年前に活かせなかったし、今回の通貨介入作戦という話も、また宅配ネットワークの悪用という話もきっと書いた私が喜んでいるだけなんだと思います。でもキャラクターたちにはなんの非もない。ただ私の非力があるだけです。それは前もって謝ります。でもこの本にはそれでも勧めたいものがあるので、自薦ではありますが推薦します。多分自薦でなければ絶対に話にもならないでしょうし。
谷口菜津子『彼女は宇宙一』継堀雪見
SF・ファンタジー的ギミックの絶妙な捻りによって、シニカルな笑いと瑞々しい抒情がきらめくストーリー漫画集(短編全6編を収録)。UMA研究会に入会したオタサーの姫が巻き起こす悲喜劇「ツチノコ捕獲大作戦!」、巨大化戦闘ヒロインの食生活と苦悩と日常と友情を描く「カロリーファイターあいちゃん!」など、ツボを押さえた設定と意表を突く展開で見事に料理した短編が並ぶ。(とりわけ、恋愛にすれっかしな男子大学生に訪れる〈未知との遭遇〉が皮肉な顛末を迎える表題作「彼女は宇宙一」は、衝撃/笑劇的な大傑作。)全篇を通して、吹っ切れたストーリー展開と切実な感情の掬い方が爽快な傑作短篇集。
電子書籍出版レーベル《惑星と口笛ブックス》の全功績に対してNEKO
《惑星と口笛ブックス》から刊行されている数々の電子書籍は、日本ファンタジーノベル大賞出身作家である西崎憲氏が企画し、出版を行っています。たったひとりの作家によって起案され、実行されたアイデアが、いま、多くの本好きや作家の賛意と協力を得て、日本の出版業における最先端の形態とその実績を、着々と積み上げつつあります。このレーベルには、SF作品やファンタジー作品は勿論のこと、先行するどのジャンルにも収まりきらない先進性とパワーを兼ね備えた数々の作品が集結しており、既に刊行された作品だけでなく、刊行予定となっているタイトルを目にするだけで、ひとりの読書人として、期待に打ち震えずにはおられません。まさしく「このあとからは、これがなかった以前の世界が想像できない」「歴史に新たな側面を付け加えた」という意味で、西崎氏の功績、もしくは、レーベルそのものに対して、なんらかの顕彰がなされることを希望致します。
動画『東方戦車道』浅木原忍
CGで再現された俳優を用いて、誰でも自由に理想の映画を作れるようになる。かつて近未来SFの描いた「夢の技術」を実現したのがMikuMikuDanceという稀代のフリーウェアである。今年で10周年を迎えたMMD文化は、それ自体に日本SF大賞を贈る価値があるが、ここではその中から『東方戦車道』を推薦したい。アニメ『ガールズ&パンツァー』の「戦車道」が幻想郷で開催されるという設定の東方二次創作動画だが、単なるガルパンの東方再現ではなく、小ネタを随所に盛りこみつつも細部まで作り込まれた独自のシナリオと演出、本家ガルパンに引けを取らない音響の迫力で、文字通り劇場映画レベルの傑作として完成した90分を超える超大作だ。4年の歳月を費やし「個人がCGで理想の映画を創る」というSFの描いた夢を実現したこの作品は、まさに存在自体がSFであり、日本SF大賞を贈られるに相応しい。東方・ガルパンを知らずとも必見だ。
早瀬耕『プラネタリウムの外側』浅木原忍
四半世紀を経て時代が追いついた傑作恋愛SF『グリフォンズ・ガーデン』の設定を引き継いだ連作。テクノロジーが現実の実在性を曖昧にしていく現代に相応しくアップデートされ、前作では明確に対置されていた現実と仮想現実の境界は格段に曖昧になった。現実の実在性をめぐるディスカッションは、恋愛の実在性と重なり合い、SFの知的興奮が恋愛の抒情性と鮮やかに接続される。瀬名秀明『デカルトの密室』の後を受け継ぐAIテーマのSFとしても秀抜だが、この連作集単品でというよりは、『グリフォンズ・ガーデン』が今復刊された意義との合わせ技で、早瀬耕という作家に日本SF大賞を贈りたい。
企画展『ヒツクリコ ガツクリコ ことばの生まれる場所』矢田和啓
アーツ前橋と前橋文学館共同企画の本展では、2018年9月現在の時点では出現当時の完全な形では見られなくなってしまったni_kaの作品『清純派詩人にかにかの弁護/妖精さんのお話』(副題:Web清純派にかにか詩の弁護/アデージア)をはじめとしたモニタ詩を完全に映写機に再現した他、鈴木ヒラクの宇宙的な彫刻展示や、頭骸骨を通じて骨伝導によって死者の声を聴く山川冬樹の展示、ジョン・ケージのレコードやオノ・ヨーコの女性の声を再現したインスタレーションなど、SF的・ジェンダー論的越境を前橋という地に出現させ、言語論的な壁を超える斬新なものとなっている。本展の受賞が、SF界に新たな風を吹き込むことは間違いない。
恒川光太郎『滅びの園』マリ本D
突如として天空に現れた〈未知なるもの〉と、それに呼応する白いゼリー状の生物のプーニー。〈未知なるもの〉の中に広がる想念の世界へと迷い込んだ鈴上誠一は、絵本のような世界で安息の日々を送る。一方、生物を取り込む形でプーニーが増殖している地上では悲惨な状況を呈している。ファンタジックな想念の世界、壊滅的な被害を受けている地上がそれぞれ鮮やかに思い浮かべられることに加えて、その二つの世界を違和感なく接続させるあたりに、これまでも現実と地続きの異界を描いてきた著者の上手さがひかる。想念の世界に生きる鈴上の視点も地上でプーニーと対峙する人々の視点もともに描くことで、それぞれに守りたいものがありそのために戦っていることが胸に迫るほど理解でき、それ故に鈴上と地上の人々の対立のやるせなさに単純な善悪では収まらない深みも感じられる。総じて非常に優れたSFファンタジー作品として、本作を推薦する。
ポプテピピック(漫画、アニメと、宣伝広告などのあらゆる関連現象に対して)矢田和啓
この作品の中で参照されているあらゆる90年代カルチャーのディテールやテクスチャ、ひいてはアーキテクチャの模倣を通じて完成された一つの通史的跳躍には、メディア論的な普遍性を超越する一種の社会観察眼が染み込んでいる。SF的な、いやそもそもSF的な物語という概念そのものを反転させかねない戦略的かつ巧緻なこの『ポプテピピック』という現象には、言葉を尽くしても語り切れない膨大なデータベース消費社会の縮図が、あらゆる要約不可能性を踏み越えた形で存在しており、一過性のものとして看過できない。故にSF大賞を贈るべきである。
柞刈湯葉『未来職安』矢田和啓
『未来職安』は仕事のなくなった社会の中で職安という職業をする、という舞台設定なのだが、まずもってその舞台設定からしてぶっ飛んだ世界を構築することに成功しており、その中で反映されるドラマの一つ一つが日本社会の構造的問題に深く切り込んだものである。「自立する個人」というごく個人的な問題がダイナミックなSF的転回を経て社会的な問題へと転換され、崩壊する社会の中での契約的「結婚」へと落ち着くこの物語は、この日本において空前絶後の驚きを持って迎えられている。その意味でこの小説は間違いなくSF大賞という栄冠にこそ相応しい。
山口優「ラプチャー・パンデミック」矢田和啓
初出が電子書籍の文芸誌『チャかシズムVol.3:《声》』であり、SFでありながら、聞き間違いや言い間違いのようなロジックを用いたミステリー的な性格も有していて、既存媒体とは違う土俵で出す価値がある非常に優れた作品。本作品においては電子書籍というメリットを最大限に発揮することに成功している。戦略的人工知能とタッグを組んで異常事態の起きた戦艦に侵入する、そのようなハードなSF物語がハードカバーの紙面の本の上ではなく、ソフトな電子媒体を通じて展開されるところに、この作者の真髄がある。
ライヴパフォーマンス『Perfume × TECHNOLOGY presents "Reframe"』川井昌彦
2018年3月20日・21日にNHKホールにて開催されたPerfumeのライブは、最新鋭テクノロジーとPerfumeのパフォーマンスによる演出が見る者を圧倒し、ライブというよりもアート作品といったステージとなりました。
あまりに高度な技術が自然に融合し、無機的なイメージの「テクノロジー」が有機的な繋がりまでをも紡ぎだしたこのステージは、まさに近未来の世界を表現したものであったと思います。
八島游舷「Final Anchors」ny
わずか0.5秒の間に超高速で取り交わされる車載AI同士の「調停」と、それぞれの所有者である人間が背負う背景描写、AIが所有者と生活を共にし、しかし避けられない事故に向けてギリギリまで研ぎ澄まされる情感の描写に圧倒されました。
八島游舷「天駆せよ法勝寺」ny
とにかく文句なく面白いです。発想や描かれる世界観、物語もさることながら、文章のかっこよさが抜群です。シャープでゴージャスで楽しい。読んでいる間、興奮しまくりでした。この作者の作品をもっとたくさん読みたいと心の底から思いました。
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篠原健太『彼方のアストラ』ぐりふぉん
骨太のスタイルで、少年の青春群像、科学技術の発展と倫理、犯人捜しの謎解き、サバイバル、航海記、そして世界観の壮大な逆転劇などを詰め込んだ意欲作。それでありながら、SKET DANCEの作者らしく、正しい「少年漫画」であり続けている点も評価したい。
草野原々『最後にして最初のアイドル』浅木原忍
アイドル、ソシャゲ、声優。オタクメディアと現代SFを悪魔合体させた本作の収録作たちは、一見その題材故に単なる一発ネタのキワモノにも見える。だがそれは、たとえばイーガンが最先端の科学の言語で記述する(そしてそれ故にSFの外側の読者には「よくわからないもの」とされてしまう)「SFの面白さ」を、SFの外側の読者へ馴染みの深い語彙に「翻訳」する行為なのだ。かつての日本SFで「サラリーマンSF」と呼ばれた作品群がそうであったように、そして現代では赤野工作の「ゲーム」や柞刈湯葉の「横浜駅」がそうであるように。SFの言語をSF外の言語に翻訳し、SFの面白さをSFの外側へ伝える拡散力と伝達力をもった作品にこそ、日本SF大賞が授けられることを願いたい。
劇場アニメ『ペンギン・ハイウェイ』牧眞司
映像の躍動がすばらしく、少年文学の映像化としては理想といえるでしょう。SFとしての観どころは、きわめてラディカルなかたちで、濃密な日常的人間関係と宇宙全体の成立を直結させている点ですね。森見登美彦さんの原作はレム『ソラリス』が霊感源とのことですが、そこに宇宙論のイメージが加味されているのが面白い。
小川一水『アリスマ王の愛した魔物』牧眞司
おそろしくハイレベルな短篇集。バイク搭載のAIを語り手にマシンの体感をありありと描いた「ろーどそうるず」、数学に憑かれた王のメタフィジカルな寓話「アリスマ王の愛した魔物」など5篇を収録。
こちらで詳しく書評しております。
http://www.webdoku.jp/newshz/maki/2018/01/12/173115.html
山本弘『プラスチックの恋人』牧眞司
議論が喧しい二次元児童ポルノの問題(直接の被害者はないが社会的害悪と見なす意見もある)を、精巧な性愛アンドロイドというガジェットを用いて、なまなましく展開した思考実験としてのSFです。理性と感情の両面に訴えかける強度を持った作品。
こちらで詳しく書評しております。
http://www.webdoku.jp/newshz/maki/2018/01/23/115217.html
早瀬耕『プラネタリウムの外側』牧眞司
ITと現実感覚を結びつけたSFは数ありますが、この作品はガジェット/アイデアを前景化するより、わたしたちが暮らしている日常、人間関係のなかで出逢う感情や感覚の地平で語られています。青春小説としても新鮮ですし、プルーストやジョイス以降の記憶を扱った文学の系譜にも位置づけられます。
こちらで詳しく書評しております。
http://www.webdoku.jp/newshz/maki/2018/04/17/201113.html
山尾悠子『飛ぶ孔雀』牧眞司
まだらに不燃になった世界、石の畸形化、地下公衆浴場の底穴から躍りでる大蛇……横溢するバシュラール的想像力を典雅な文体で綴ったシュルレアリスムの傑作。
こちらで詳しく書評しております。
http://www.webdoku.jp/newshz/maki/2018/05/22/161912.html
宮内悠介『超動く家にて』牧眞司
いやあ、マイッタなー。とんでもない短篇集。ネタやアイデアそのものは、長篇を書いているときの宮内悠介と異なる「盆暗純度」ですが、それを作品化する手つきはまぎれもなく才気走った宮内悠介なのです。
こちらで詳しく書評しております。
http://www.webdoku.jp/newshz/maki/2018/03/06/160155.html
北野勇作『じわじわ気になる(ほぼ)100字の小説』牧眞司
ボルヘスのメタフィジカル、ゴーリーの不気味、ハルムスのナンセンス、足穂の詩情、星新一のウィット、落語的なシュール……、とりどりに詰まったアヤシイおもちゃ箱。そして、まちがいなく北野ワールドです。言葉の感覚が凄い。井上陽水がとりおり見せる「向こう側」の言葉みたいです。
上田早夕里『破滅の王』牧眞司
小松左京『復活の日』以来の、日本SFにおける破滅テーマの到達点です。もはや私たちには全滅のカタストロフィすらなく、むごたらしく生き延びてしまう咎を否応なく引き受けなければならない。現代が胚胎したアクチャルな感覚が通奏低音のように響く傑作です。
こちらで詳しく書評しております。
http://www.webdoku.jp/newshz/maki/2017/12/05/113323.html
篠原健太『彼方のアストラ』海宇未悠
少年向けのSFミステリーとして、新たなオールタイムベストだと言って良い作品です。
ほのぼの冒険SFかと思いきや、綿密に伏線の張られたSFミステリー作品なので、未読の方は是非とも読んでください。
初見ではご都合主義かと思われたシーンや冗長かと思われたシーンにも、しっかりとした伏線があります。
4巻と5巻での大どんでん返しは、ネタバレを見ずに読むことを、強くお勧めします。
三秋縋『君の話』
スペースオペラのように現代からかけ離れたサイエンス・フィクションではないものの、この作品はまごうことなきサイエンス・フィクションであると思いました。
記憶の移植・消去が容易に行える世界で、自分の記憶にない理想の女性に出会った主人公。しかし、その女性も主人公と同じように葛藤を抱える等身大の人間であった。
最後まで飽きることのない怒涛の展開で、まさに2018年を代表する作品であると感じました。
野村亮馬『第三惑星用心棒』doubly
ベントラー・ベントラーで知られる野村亮馬氏のkindle自費出版漫画。西暦2882年の地球、闊歩する自律機械の処置を担う高機能人型アンドロイドを主人公とした当作は、上記作品でも目を引いた住人の暮らし、人工知能の仕草、用いられる様々なガジェットなどが高い密度を持って西暦2882年の地球を余すところなく示している。特に、軌道エレベーターケーブルの補修場面は「何も特別なことはしていない」現存の工学の延長そのものを画的に描いており必見。続刊も予定されており目が離せないシリーズとなりそう。
萩鵜アキ『冒険家になろう! ~スキルボードでダンジョン攻略~』新棚希望
近未来の日本をディストピアとし、既存化学を押し除けて、新たな技術が台頭し始めた黎明期を描いている。
非常に多彩なメタファが盛り込まれており、ライトノベルと侮ると、本作からはなにも読み取れないだろう。
ダンジョンにより被災した人間が前を向き、一致団結して困難を乗り越えていく様子(物の見方・場面の切り取り方)は、暗い物事ではなく、明るく幸せな物事のみを切り取っているため、愉快であり、それが現実に被災した方々にとっての、幸福を得るための道筋として示されている。本作の「見方」は今の日本にとって、無くてはならない視点であり、故に、無くてはならない作品である。
TVアニメ『ポプテピピック』浅木原忍
「蒼井翔太です!」この一言が、全ての時間SFを過去にした。『ヘボット!』放送終了から三ヵ月後に放送開始した本作は、『ヘボット!』と同じく、パロディギャグアニメであり、その裏側で世界がループするループSFである。だが、ここで描かれるループは、作品の構造が『ヘボット!』の存在を前提に「実はループSF」と半ば冗談として読み解かれること自体を想定したパロディでしかない。蒼井翔太のメタな介入で世界をやり直しハッピーエンドに辿り着いた本作は、この20年のループSFブームが形成した文化、その爛熟の極みとも言える。ループSF・時間SFはここまで来てしまった。「蒼井翔太です!」の後に、時間SFに何が出来るのか――そう、我々は『ポプテピピック』以後にいるのだ。もう後戻りはできない。このグラウンド・ゼロに日本SF大賞を与える度胸があるのか、日本SF大賞もまた試されている。
TVアニメ『ヘボット!』浅木原忍
21世紀は間違いなくループSFの時代だった。そしてループSFは、一度語られた物語に介入するメタSFという側面を持つ。ホビーアニメでありパロディギャグアニメであり、同時にその裏側で世界のループが繰り返される『ヘボット!』は、ホビーアニメという媒体・パロディギャグアニメという趣向のもつメタ性と、ループSFのもつメタ性を結びつけることに成功した。この20年のループSF流行そのものをメタなギャグとして総括し、ループを脱却した後に待つ結末のその先を「二次創作」に委ねる美しいラストシーンは、21世紀の「ループSFの時代」の総決算であり、メタSFの新たな金字塔を打ち立てた。ループを終わらせためみ子は、ハッピーエンドを願う視聴者のアバターに他ならないのだから。伝説として語り継がれるだろうこのアニメが、日本SF大賞を受賞しない理由はない。だってめみ子だもん。
星野之宣『レインマン』海野螢
最初は脳を持たない青年の超常現象オカルト物か何かのように始まるが、先を見せない構成で超心理学から脳科学、社会心理学、量子力学、AI、歴史学、民俗学、遺伝学、地球史、哲学、平行世界までありとあらゆるジャンルをまたいで展開、最終的には宇宙の根源に迫るスケールの人間原理に着地。ある意味星野之宣SFの集大成。
梅田阿比『クジラの子らは砂上に歌う』タニグチリウイチ
砂の海を漂う巨大な浮島「泥クジラ」に暮らす住人たちには過去、祖先にある事件があり、それが元で今、帝国に攻められ滅亡の危機に瀕するが、運命に抗おうとする少年少女たちによって危機を脱し、今は永遠の平穏を得られる地を求めて砂の海を漂い続けている。独特な世界を創造し、その上に築かれる新たなる人類の様々な暮らしを描いた漫画は第1部にあたる部分がテレビアニメになり、舞台になって多くに存在を知らしめた。漫画は先へと進み異能を持った「泥クジラ」の住人たちに向けられた権力者の強欲との戦いが繰り広げられている。本格SFとして異世界もしくは遠未来の人類の姿を紡ぎ続ける漫画を第一の候補として推薦しつつ、アニメであり舞台といったメディアミックス展開も含めた「砂クジ」ワールドを添えて推しその存在を世に問いたい。
山田胡瓜『AIの遺電子』miyo_C
アンドロイド人情物としての1話完結ストーリーが、これだけのクオリティで連載されたことが驚きでした。また、人間がアンドロイドの医師として働く、人間の母親をアンドロイドがつとめる。それが、シームレスになった未来像は少子高齢化の先の未来を私たちに見せてくれているように思ったのです。
このような豊かな未来を人間がつぶそうとしている現代においての人権や、個人の権利、責任、義務などについても考えさせられる作品であります。
未完の続編では、長編として、主人公の母親をめぐる物語が続いており、いのちや人格についての新たな視点でのストーリーが展開していますが、まずはこちらを日本SF大賞に推挙する次第です。
ゆうきまさみ『究極超人あ〜る』miyo_C
アンドロイドのあり方について、韜晦とも言うべき態度で飄々と描ききった名(迷?)作が、人の社会の中にいかに溶け込ませつつ、いかにロボットの存在があるべきかという問いが現実になりつつある現代に30年ぶりの新刊を出せたことが、もはやSFの様に思えるのです。高校という特別な場所を舞台にメタ的な時間経過ネタの中でも同じ空気感を維持していることも、舞台を現代に移した細田版時をかける少女などとも異なるアプローチで興味をそそるのです。
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