第37回日本SF大賞 受賞のことば
2017年5月10日公開 | 2017年4月21日・贈賞式会場にて配布された冊子より
第37回日本SF大賞
白井弓子『WOMBS(ウームズ)』(小学館)
受賞の言葉 白井弓子
このたびはすばらしい賞をいただき、大変光栄に思います。エントリーしてくださった皆様、最終候補に選んでくださった日本SF作家クラブの皆様、審査員の皆様、本当にありがとうございました。受賞の一報を受け感涙したものの、しばらくすると「あれは本当だったんだろうか、夢じゃなかろうか」という思いがわいてくるほど、私にとってありえない事でした。ずっと応援してくれていた読者さんや身内の祝福を得てやっと実感している次第です。
『WOMBS』は2009年5月に月刊IKKI(小学館)で連載を開始し、第3集以降は描き下ろし作品として発表され、2016年1月の第5集をもって完結した漫画です。「妊婦」が兵士として戦うというアイデアが出たのは連載開始からさらにさかのぼること10年、かつて同じ漫画同人誌で描いていた親友にあてた手紙の中でした。いつものように観た映画やこれから描いてみたい漫画の事をかきつけるうち、「妊婦」用プロテクターを身につけた兵士のイラストがうまれたのです。これは重要なアイデアであると気付き、私はその手紙を出さずにコルクボードに貼りました。
アイデアが出たのは良いものの、世界観とストーリーはまだ漠然としたもの。長年引っ張り出してはこね回し、時に描き始めては挫折するを繰り返すことしかできませんでした。
転機はメディア芸術祭での受賞をきっかけに漫画『天顕祭』が日の目をみてからおとずれました。月刊IKKIの編集部に声をかけていただき、『WOMBS』の企画が採用されたのです。勇んで描き始めたものの、自己流で描いてきた自分にとっての初連載は技術的にもハードルの高いものでした。前作より読みやすいマンガになっているのは、担当編集者による粘り強い検討のおかげです。
とはいえなかなか人気を得るのは難しく、3集からは描き下ろしでの発表となりました。制作のペースを崩し、もたもたしているうちに月刊IKKIの休刊が決まるという痛恨事。それでもお話を完結させられる、増ページの最終巻を出していただけた事が、今回の受賞につながりました。関係者の皆様に、そして時に年単位で待たされながら粘り強くコミックスの発売を楽しみにしていてくださった読者の皆様に感謝を申し上げます。
最後に『WOMBS』の「妊婦」が兵士になるという設定について。一見過激に見えはしますが、妊娠出産の記憶もまだ生々しかった自分にとってその発想は不思議としっくりくるものでした。血と激痛がつきもので、どんなに準備していても命がけの事態になることもある。時に社会の矛盾、歪みを一身に背負う。妊婦と兵士の共通点は多いと。とはいえそのふたつを本当に合体させてしまう事は、SFという形をもってしてしかなしえませんでした。
SFは変わっていく時代の中でまだまだたくさんのテーマとアイデアを発信できるでしょうし、それを個人レベルでビジュアル化できるSF漫画も描かれていくでしょうし、描かれ続けています。私もまたその一角で表現し続ける事ができたら、と願ってやみません。今後ともどうか、よろしくお願いいたします。
第37回日本SF大賞 特別賞
庵野秀明(脚本・総監督)
樋口真嗣(監督・特技監督)
尾上克郎(准監督・特技統括)
『シン・ゴジラ』(東宝)
受賞の言葉 樋口真嗣
私にとってのSFとは、産湯であり揺り籠であり通過儀礼、帰依すべき存在であり、憧れでした。
それが高校時代になると、「それはSFではない」が口癖の〝SFの先輩〟が立ちはだかっていました。
宇宙を旅する船や機関車、合体する巨大ロボットや激突する怪獣やヒーローを俎上に上げては「それはSFではない」とバッサリと切り捨てられていくのを、そんなに悪くないのになあ…と思いながら論破されるのを怖れて言い返せず怯えて過ごしてました。
そして今や二十一世紀という、かつて読んだSFの舞台設定のような時代です。自分たちが信じたSFの定義が大きく変わってきてるような気がします。
そこで空想の要素を最小限にして現実を徹底的に調べ上げて再現しました。
わからないからウソをつくという選択を排除して本当に起きることだけを絶対ありえない唯一の存在の周りを埋め尽くしただけなので、〝SFの先輩〟からはキツいお叱りを受けるかもしれませんが、先輩が愛読していた作家の皆さんに祝っていただけるのだから許していただきたいものです。
この度は選んでいただき、本当にありがとうございました。
樋口真嗣
受賞の言葉 尾上克郎
この度は、SF大賞特別賞という栄えある賞を賜り、大変な光栄を感じております。審査員の皆様をはじめ、ご支持いただいた皆様に改めて御礼申し上げます。
今作『シン・ゴジラ』は初代『ゴジラ』から数えて29作目、ハリウッド版も入れますとシリーズとしては31作目になります。
ゴジラが生まれたのは今から63年前。敗戦から9年目。表面的には戦後の混乱が収束に向かい、庶民の間に映画という娯楽を受け入れる余裕が出てきた頃です。そもそも、初期のゴジラは地震や台風といった自然に対する恐怖や畏敬の念が混じり合ったメタファーと考えられていたようです。しかし、世界は冷戦期に突入し、各国は核実験を繰り返していました。「核」の恐怖が一般市民にまで身近に迫っていた時代でもありました。結果として、ゴジラが核や戦争といった恐怖のメタファーとしての役割を背負わされたのは宿命だったのでしょう。
第一作の『ゴジラ』公開前、殆どの評論家からは「子供だまし」とこっぴどく揶揄されたものの、いざ蓋を開ければ結局1千万人近くお客様が劇場に殺到し大ヒットとなりました。その成功が今日まで続く我が国の「特撮」というジャンルの技術的あるいは文化的原点にもなりました。ゴジラに始まる怪獣ブームは後にウルトラマンや仮面ライダーを生み出し、キャラクタービジネスやオタク文化の魁となりました。
時の流れとともに、ゴジラはその本来の姿とは裏腹に恐怖の存在から子どもたちのアイドル「怪獣王ゴジラ」へと変貌していきます。それは我々日本人が戦争や核という恐怖をまるで他人事のように感じ始めるプロセスと歩調を合わせているかのようでした。いつしかゴジラは存在する意味を失い、一旦その役目を終えます。
それから7年後、私たちは忘れかけていた恐怖に直面させられました。2011年3月11日です。あの時受けた衝撃や恐怖がゴジラ再始動のもっとも大きな原動力となりました。ゴジラ復活の大任を背負う形となった我々には、最早、呑気な「怪獣王ゴジラ」を復活させることは許されなかったのです。ゴジラは一度役割を終えたコンテンツです。今の時代に「ゴジラ」を復活させる意味はあるのか。「ゴジラ」という「大ウソ」をいかにすれば現代人がリアリティを持って受け入れてくれるのか。
「ウソはゴジラだけ」、結局これが、総監督庵野秀明が出した結論でした。庵野による精緻を極めた脚本は我々をかつて経験したことがないほど追い詰めました。それは私にとっては長年培ってきた映画人としての誇りをかけた戦いでもあり、葛藤の連続でもありました。多方面に渡る実地取材や膨大な資料との格闘、日進月歩する映像技術への対応、噴出する様々な課題。シン・ゴジラに携わってまる4年、眠れぬ夜が続き、映画が完成しても尚、その後遺症に悩まされる日々が暫くの間続きました。
公開初日、劇場を取り囲むお客様の列を見たときの安堵感は今もしっかりと覚えています。おかげさまで多くのお客様が受け入れて下さった証か、予想を超えるヒットとなり、数々の評価もいただきました。少なくとも、我々が掲げた当初の課題はどうにか克服できたのではないかと思っています。
ゴジラは日本に戻ってきました。これからも新しいゴジラは作り続けられていくことでしょう。その時、彼は何を背負い、何を思うのでしょうか。願わくば次の時代のゴジラには呑気な怪獣王でいて欲しいと思います。でも残念なことに、ゴジラにそんな安穏な日々が来る日はまだまだ先のような気がするのです。
本日は誠にありがとうございました。
2017年3月8日
映画『シン・ゴジラ』准監督・特技統括
尾上克郎